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超ドMの時代 [メモリー]

昔は冬になると、雑誌の巻頭カラーを飾る2大ルアーターゲットがありました。1つは「本栖湖のスーパーブラウン」、そしてもう1つは「湘南のシーバス」でした。

スーパーブラウンは、もう今は生き残りなんていないのでしょう。もっとも、当時としても相当な低い確率のターゲットではありました。

ルアーとフライ、両方の狙い方がありましたが、特にルアーにおいてはこの釣りが日本のハンドメイドミノー文化のバックボーンの1つにあったのは事実です。リアルなミノーを波間に投げて放っておく、ほっとけメソッドなんていうものまであった。フライだったらダブルハンドロッドでストリーマーを引くというイメージでしょうか。

いずれにしろ、吹雪の中で湖に立ちこんで黙々とロッドを振るというイメージの釣りです。しかも、それがほとんど報われることはない宝クジのような釣り。まさにドMの釣りの頂点とさえ言える釣りでした。それでも本栖湖のブラウンの記事を目にした当時のルアー少年達は、そんな釣りに憧れを抱いていたものなのです。

もう1つの「湘南シーバス」というのは、まさしく日本のシーバスフィッシングの始まりといっても過言ではありませんでした。投げ竿の流用から専用のシーバスロッドへと大きく進化を遂げたのは、湘南シーバスという釣りのスタイルがあったから。ジャクソン社のケイロン、スミスのサーフプラッギングといった専用ロッドが、シーバスロッドのパイオニアとなった。当時は今よりも長くて、11ftクラスがスタンダードでした。重心移動のルアーなんて、当時はまだ無かった。

今は真冬よりもその前後がベストシーズンという認識があると思いますが、当時はシーバスといったら冬の釣り。完全防寒スタイルで寒風吹きすさぶ冬の海に立ちこんで釣りをする。「冬」「夜」「海」というこれでもかの3重奏。これまたドMな釣りと言わざるを得ない。それでも当時は随分流行っていたようだし、雑誌を読んでいた少年達はそんな釣りに憧れていたのです。

当時に較べて、今はそこまでドMな釣りをするアングラーは少なくなった。というよりも、本当は少し時期をずらした方がいいとわかったり、色々と解明されるに従ってそこまでしてやる必要は無くなったといったところでしょうか。でも少なからず、釣り人自体が軟弱になったのも事実じゃないかな?と思います。

「池島さんは冬なのによく毎週バス釣りに行きますよね、寒くないんですか?」よく言われるセリフです。

寒いわけがない。昼間の釣りだし、風のない日を選んでいる。釣り場だって温暖な水郷です。雪なんて滅多に降らない。その昔に、本栖湖のモンスターブラウンや湘南のシーバスを追い掛けていた人が聞いたら、鼻で笑われてしまうに違いないです。そんなの序の口だよって。
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コッキービートルが教えてくれたこと。 [メモリー]

このルアーで釣りたい!このルアーでバスを釣って、初めてシニアバサーへの一歩が踏み出せるような気がした。

そのルアーとは、スーパーストライクハトリーズ「コッキービートル」。

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父親が釣り道具に理解があったためか、私は高校に進学する頃には、当時の最高峰とも言えるべきタックルを所有していました。スーパーストライクのGC-60に、アブ・アンバサダー5000C。きっと当時の大人の人から見たら、子供のくせに何ていい道具を使っているんだろうと思われていたに違いない。

けれども何かが足りなかった。それはルアーでした。ロッドとリールは、それぞれ進学祝や、珠算の上級試験の合格祝いに買ってもらったもの。でも日頃の小遣いは少なかった。だからロッドとリールは立派なものを使っていたのに、ルアーだけは手頃に入手できる国産品ばかり使っていたのです。仲間内でタックルボックスを見せ合っても私のボックスの中身は本当にショボかった。一番ショボかった。

ある時、先輩が色々なルアーを格安で譲ってくれることになりました。その先輩はワームの釣りに目覚めてしまったので不要となったプラグ類などを安く譲ってくれようとしたようです。そしてその中に、ハトリーズのコッキービートルがあった。当時の私には憧れだったプラグです。でも高くて買えなかった。先輩はそんな私の心中を察してか、そのプラグを格安で譲ってくれたのでした。めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。

スーパーストライクのロッドにアンバサダー、そしてハトリーズ。これで役者は揃った。これでバスを釣ったら、どんなに絵になることだろう。

それから、釣りに行くたびにコッキービートルを投げるようになりました。しかし、現実は甘いものではありませんでした。釣り人も多い印旛水系、トップで釣るなんてことはそうそうたやすいことではなかったのです。しかし、クランクベイトにチェンジすると簡単に釣れる。安い国産プラグでも、です。自分には安物の方がお似合いってことなのか?!
何としてでもコッキービートルで釣りたいという思いは持っていましたが、あまりに厳しい現実を前に、日に日にコッキービートルを投げる時間は減っていきました。だって、私には釣れないんだもの。

そしてある日のこと。その日も、クランクベイトでは随分と釣った。今日はこれで充分だと思えた。そして夕方、雨がパラついてきました。良い雰囲気です。駄目元で、まだ手を付けていないポイントをトップウォータープラグで攻めてみようと思いつきました。別に釣れなくたって構わない。もう充分に釣ったのだから。
そして久しぶりに、コッキービートルをラインに結んだ。イマイチ回転が悪かったペラは、自分好みにヒネリを入れたら目を見張るほどに回転が良くなっていた。

狙っている場所には水中にカナダモが生えており、その上をコッキービートルで引いてみた。
ジュワーッ。・・・。ジュワーッ。
スローに引いて、ポーズを入れて、またスローに引いて、を繰り返した。
ジュワーッ。・・・。ジュ・・・『ダバッ!!』
出たッ!!

不思議なもので、そのタックルでは何100尾ものバスを釣り慣れているはずなのに、緊張してリールを巻く手がぎこちなかったような、そんな気がしました。やがて足元には、コッキービートルをくわえた30cm少々のバスが横たわった。

写真は撮らなかったものの、タックルを魚の横に並べてみた。スーパーストライク、アンバサダー、ハトリーズ。やっと完成した、自分のパズル。最後のコマはようやく埋まった。しかしそのパズルが完成した瞬間、何かが自分の中で変わった気がした。

それからというもの、私は釣れる釣りをとことん追い求めるようになりました。安価な国産品に対して抱いていた劣等感も消え去った。安くて釣れるルアー、イイじゃない!私は悟ったのです。自分相応の道具を使えばいいと。当時の私に、ハトリーズは背伸びし過ぎていたんだと。

それから20年以上の時が流れ、私もいい歳したオッサンになりました。釣具だって自分で稼いだお金で買っている。今の自分だったら、ハトリーズも身分相応に使うことが出来るのかな。

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川の主釣り [メモリー]

釣りキチ三平などでもよくあったパターンで、その沼の主のような巨大魚の存在を知り、その主を狙って、しまいにそれを釣り上げる。「三平」では当たり前のパターンではあったのだけれども、実際にそんな釣りをしている人なんていないはずです。「あなたはこの湖の主を狙っているんですか?」なんて質問をしたら、ハァ?と言われてしまうでしょう。

でももし実際に主のような魚を見掛けてしまったら、確かに他の魚は眼中になくなってしまうかもしれませんね。

まさにリアルタイムでTV放映の「三平」を観ていた頃の話です。当時の私は中学生だった。
自宅から自転車で行ける範囲に、とある沼があったのです。いや、それは水溜りと呼んだ方が良かったのかもしれない。だって、重めのルアーをフルキャストすれば対岸に届いてしまうほどの小さな場所でした。そこは釣り禁止というわけではありませんでしたが釣り人なんて誰もいませんでした。そもそも、鯉や鮒さえもいるのかどうかわからない。ただ、ウシガエルのおたまじゃくしとメダカのような小魚は沢山いました。

しかし、ある日私は見てしまいます。その沼の主を・・・。

いつの間にか、水面付近にある丸太のような褐色の物体。けれどもそれは、よく見てみるとゆっくりと動いていることがわかった。そして次の瞬間にその身を翻した。そしてその時に、黒い模様がはっきりと見えたのです。「ライギョだ!」

当時はまだバスを釣るにも遠出が必要でした。決して身近ではなかったのです。身近な釣り場にルアー釣りの対象魚がいると知り、その頃の自分はそれだけで夜も眠れないほどに興奮しました。

「あのライギョを、自分が釣り上げてみせる」

すぐに入門書を読み漁り、ライギョの釣り方を研究しました。そしてわかったこと。ライギョにはカエルのルアーがいいという事、アタリが来たら一呼吸置いてからアワセるといいという事、そして歯が鋭いので釣り上げた後はタオルと軍手とペンチが必要だということでした。

早速、自分の小遣いで買えるフロッグを釣具屋さんに買いに行きました。とても高価だったガルシアフロッグを横目に、私が買ったのはコーモランのかへるくんとダイワのブルフロッグ2というルアーでした。軍手やペンチも用意して、準備万端!釣り友達数人と自転車で、例の沼に向かったのです。

早速、キャスティング開始。自信満々でコーモランのかへるくんをキャストする私。何せこの沼、前述の通り非常に狭い。色々な方向にルアーを投げれば、ほぼ全域ルアーを引けてしまうのです。あのライギョがルアーに気付かないわけがない。必ず、自分のルアーはあのライギョに見られている。そう思って、丁寧に釣っていきました。

もっとも、今思えば藻なんて全然生えていない完璧なオープンウォーターだったのに、必死でフロッグを投げているというのは実に滑稽なことでしたが。

結局、誰もライギョをヒットさせることは出来ず。それでもめげずに何度か釣行を繰り返しましたが「どうせ行っても釣れないよ」ということで同行する釣り友達も1人、また1人と減っていき、結局は私だけになった。

それでも、例の沼の主であるライギョは時折その姿を見せた。そのたびに私の心臓は飛び出さんばかりに鼓動した。「いつか、必ず!」そう誓って、その沼でルアーをキャストし続けた。

けれども、ある日その沼の様相が一変したのです。岸辺が整地され、芝生が植えられた。そうです、公園化されてしまったのです。それ以来、主の姿を見掛ける事はなくなりました。果たして、そこにまだ住んでいたのか、それとも死んでしまったのかはわかりません。

私はとうとう、主を手にすることは出来なかったのです。

でも、もしかしたらそれで良かったのかもしれません。だってその沼の主のライギョって、今思えばせいぜい50~60cmくらいの大きさだったような気がするんですもの。
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シャッドプラグ不毛の時代・2 [メモリー]

時代と共にシャッドプラグに求められる要素というのが徐々に変わってきた背景には、ロングビルミノーの台頭も影響していたように思います。

ラリーニクソンが来日した際に琵琶湖で見せたスプーンビルミノーのポンプリトリーブは、トレブルフックのシャンクに鉛線を巻くことでサスペンドチューンするというものに端を発し、やがては日本製のサスペンドロングビルミノーという形に姿を変えます。当時は猫も杓子もサスペンドロングビルミノーといった感さえあり、ショップに行けばこの手の商品は大人気で品切れ、という時代です。

もちろん色々な湖で多用されることとなったわけですが、やがてその文化は2分していきます。霞ヶ浦系のマッディーシャローのフィールドではロングビルミノーは少し潜りすぎた。また、90mmよりも小さなサイズが求められるようになりました。

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その結果、ロングビルミノーのダウンサイズ版も登場してきましたが、それと平行して徐々にその支持を伸ばしてきたのがサスペンドシャッドでした。当時は、ベルズさんのスーパーシャッドなどが多用されていたと記憶しています。また一方では、河口湖でベビーシャッドがJB戦のウィニングルアーとなり、一躍脚光を浴びることとなったのです。

また、時を同じくして、プラグのリアルフィニッシュがもてはやされる時代でもありました。シャッドプラグというのは、リアルフィニッシュを施すには最適な素材だった。各メーカーからは次々と精巧な仕上げを施したリアルシャッドが続けざまにリリースされていくのでした。

そして現在。かつてのロングビルミノーのブームはどこへやら。すっかりシャッドがその座に入れ替わったとの感があります。

そして気がつけば、シャッドプラグのラインナップもすっかり変わった。かつてあれだけ人気があったTDシャッドもマッドペッパーもシュガーレイシャッドもその姿を消してしまった。TDシャッドなどは時代に合わせようとサスペンドモデルを追加したり重心移動機構を搭載したりもしたけれど、初期型のレスポンスの良さを知っている私としては、その出来は個人的に納得できるレベルではありませんでした。

けれども私は思うのです。本当に無くなってしまったのは往年のシャッドプラグ達ではなくて、往年のシャッドプラグの使い方なんじゃないか、と。シャッドラップなんて超高速巻きで釣れるんですよ。今のシャッドの使い方はデッドスロー&ポーズなので、まさに対極とも言える。

難しいテクニックを覚えることは決して無意味ではありません。それで手にする魚もきっと増えることでしょう。けれども、ルアー釣りってもっと簡単なものじゃなかったっけ?投げて巻けばそれでいい、みたいな。簡単な釣り方、みんな忘れてしまっていませんか?
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シャッドプラグ不毛の時代 [メモリー]

今では各社から発売されていて、大人気のシャッドプラグ。特に低水温期の釣りには無くてはならないものと位置づけている人も多いことでしょう。けれども、今でこそ人気のシャッドプラグですが、ある時期「売れない」部類のプラグだったのです。だから見方によっては、遅咲きのジャンルと言えるかもしれない。

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シャッドプラグの元祖といったら何といってもシャッドラップラパラでしょう。バルサ製でタイトにキビキビと泳ぐシャッドラップはどちらかというとミディアム~ファーストリトリーブ向きで、決して活性の低い魚をスローに喰わせるルアーというわけではありませんでした。

その他、バグリーのバッシングシャッドなども存在していましたが、こちらはさらに力強くローリングするタイプで、連続トゥイッチなどでも強力に魚を誘う、アピール的要素の高いものだったのです。

シャッドラップラパラの成功は他メーカーにも当然のように影響を及ぼし、それをABS製の量産品で実現しようというものも現れてきました。例えば、レーベルのファーストラックシャッドなどはその一例でしょう。

やがて、ABS成型精度の技術を上げた日本のメーカーも、シャッドラップのプラスチック化を試み始めます。当時はまだシャッドラップも店頭で¥1300~1400はするルアーで、国産プラグの方がよっぽど財布に優しい存在でした。だから当時学生だった自分などにとっては、国産メーカーが発売するシャッドプラグは本当にありがたい存在となりました。

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まず登場したのがダイワさんのTDシャッド。当時の定価が¥1200で、2割引で販売しているお店ならば¥960で買うことが出来ました。だから出た当時はシャッドラップよりも安く済むという理由で箱単位でドッサリ購入していたものです。のちにこのプラグも重心移動が搭載され、サスペンドモデルが追加されたりもしましたが、一番最初に販売されたモデルは固定重心のフローティング、つまりはシャッドラップを意識したものだったに違いありません。

そしてTDシャッドはその完成度も素晴らしかった。当初、シャッドラップSR-7よりもサイズが大きい点が気になって躊躇していましたが、実際に使ってみるとそんな不安はすぐに消し飛んだ。特に、バラタナゴカラー(?)は本当に良く釣れて、大のお気に入りでした。

そしてティムコさんからマッドペッパー(マグナムじゃありません)も発売されます。最近のモデルは違うと思いますが、元々ノトスルアー(~ペッパーという名のもの)は南氏のマロルアーをABSで量産化したものです。だからマッドペッパーは、マロルアーのシャッドがベースモデルだったと記憶しています。そんな事くらい常識だと思っていたのですが、実はそう思っているのは私のようなアラフォー世代くらいだと最近わかり、ちょっとガックリ。

当時、私がバイトしていたショップに営業に来られていた林さんが「これでもうシャッドラップを買わずに済みますよ!」と嬉しそうに話していたのを覚えています。マッドペッパーもまた、固定重心のフローティングモデルであり、特にマッドペッパーJr.の方はTDシャッドのダイバータイプとシャロータイプの中間をカバーできる潜行深度で重宝したものです。

そんな国産シャッド達の販売状況は、当時はまずまず好調でした。にも関わらず、それらはのちに廃盤という道を辿ることになる。シュガーレイシャッドなどもそうです。もちろんルアー自体のモデルが古くなったからというのも理由の1つには違いありませんが、シャッドプラグというカテゴリー自体が大きく変わってしまったという点も大きいはずです。

(つづく)
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スピナー・メモリー [メモリー]

だいぶ以前にスプーンネタを書いたことがあるのですが、意外にもその反響が大きかったのには驚きました。でもルアー歴の長い人というのはスプーンからルアー釣りを始めたという人も多いはずですから、当然といえば当然なのかもしれません。昔のルアー釣り入門書を見ると、ブラックバスの仕掛けとして7~12gスプーン、なんて平気で書いてあったのですから。

けれど、私の初ヒットルアーはスプーンではなくてスピナー。釣った魚はニジマスでした。それが小学2年の時。場所は早戸川のマス釣り場。それもルアー専用区などではなくて団体用に段々畑状に川が区切られているところ。そこを家族で1区間借りて、バーベキューをしながらニジマスを釣っていたのです。

バケツでドドッとニジマスが放流された。沢山のニジマス達が、透き通った水の中で上流を向きながら群れをなして泳いでいました。私にとっては初めてのルアー釣り。使用タックルはオリムピックのクローズドフェイスセット。リールとパックロッドがセットになっていたものだった。ラインは多分2号位だったと思います。そして、手持ちのルアーの中でも一番のお気に入りだったスピナーをスナップスイベルに通してセットしました。お気に入りとは言っても、¥100スピナー。アグリアのパクリものだったかな。

¥100スピナーといえど、釣具としてはしっかり機能していました。流水の中でもちゃんとブレードは回転したし、澄んだ水の中でキラキラ光りながら泳いでくるスピナーの姿は、私がお菓子の空き箱に詰め込んで保管していた時のそれとはまるっきり違う姿でした。水の中のそれは、なんて綺麗なんだろうと思った。けれどももっと驚いたのは、そのキラキラ光りながら泳いでくるスピナーに、群れを成して追尾してくるニジマス達の姿でした。

小学生の私でさえも、すぐに複数尾のニジマスを釣ることができた。ただ、ニジマス達はすぐにルアーを見慣れて追わなくなってしまいました。どうしたらいいんだろうと思いあれこれルアーを変えても、もうルアーではニジマスを釣ることは出来ませんでした。「いい加減諦めてエサで釣れ」と父親に言われましたが、エサで釣るニジマスには何の感動も覚えませんでした。それくらい、キラキラ光るスピナーに群れを成して追ってくるニジマス達の姿が衝撃的だった。

ルアー釣りって凄い!けど難しい。そう思った。それが私のルアー釣りとの、そしてスピナーとの出会いでした。

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今でこそスピナーはあまり人気のないジャンルになってしまいましたが、当時は人気のあるスピナーが沢山ありました。ブレットン、アグリア、ルブレックス、ドロッペン、リフレックス、ブラックフューリー、パンサーマーチン。国産ではダイワさんのトリッキー、ブラッキー。

ブレットンはその回転性能の良さに今でも惚れ惚れします。地味ですけどね。まさにスピナー界のいぶし銀。

ドロッペンはまさに機能美の結集。水滴型のボディーは後方重心でロングキャスト出来る。ブレードのエッジにはギザギザが付けられており確実に水を掴んでくれる。持っていたはずのドロッペン、どこ行っちゃったんだろう・・・

ダイワさんのトリッキーは何よりブレードにリフレクトシートが貼ってあるのがお気に入りでした。水中を泳いでくる姿が一番キラキラしていたから。

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ちょっと後発だった気もしますがマイヤー社のスピナー(アガット、ウィップ)はベイトタックルでも投げられたので、バス釣りのアブレ防止に効果大でした。もっとも、当時の仲間内ではスピナーをバスに使うこと自体、かなり冷めた目で見られていましたが・・・

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そしてこれを忘れちゃいけない、ロースターテール(スミスの販売品ですからね)。これは単に、東山湖でフライの人達がバンバン釣っているのを見て、ルアーを少しでもフライに近付けたらいいんじゃないかという短絡的な発想で買ったもの。けれどもロースターテールの本当の良さはブレードにあります。ブレードの表面上にスケールフィニッシュが施してあることで、水の掴みが断然違います。だから回転の立ち上がりも素晴らしく速く、デッドスローで巻いてもしっかりと回転する。実際、良く釣れました。

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そして現在、最も進化したスピナーと言えるのがこのニアキス。スケール彫刻の入ったブレードは回転性能に長けており、スピナー唯一の弱点とされた糸ヨレまでも軽減させてしまった。国産ならではの、鋭いフックが付いているのもいい。私自身もスピナーなんて忘れかけていたのですが、もう一度実戦投入してみようという気にさせてくれたスピナーです。

時代が進むと共に、スピナーはあまり人気のないルアーになっていったような気がします。その一因としては、全体のレベルが上がり中級~上級者が多くなったために、よりテクニカルな釣りが志向されるようになったためだとも思えます。けれども、テクニカルな釣りは時に壁にぶち当たることも少なくない。あえてそのまま修行を重ねるのも悪くはないけれど、たまには無心でスピナーを引いてみるというのも、決して悪くはないものです。
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ストライクとの決別・2 [メモリー]

幸か不幸か、私は学生時代に釣具屋でバイトをさせてもらうことが出来ました。だから各メーカーのロッドは比較し放題だった。また、たかだかバイトの分際なのに、仕入れや広告まで任されていました。当然、テラミスとバトラックスも仕入れていました。

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自分はトーナメント志向が強かったため、揃えるならばテラミスだろうと思っていました。ただ、当初はどうもテラミスがあまり好きにはなれませんでした。青っぽいブランク、水色のスレッド、黄色のメーカーロゴ、そしてテラミスのロゴデザインも自分には格好いいとは思えませんでした。この辺りの仕上がりはむしろエコノミーモデルのバトラックスの方が遥かにマシだと思えました。

けれども何より、チャンピオングリップに慣れ親しんだ自分には、あのEVA製のグリップが安っぽく感じられて仕方がありませんでした。確かに軽いし、握りやすいし、感度もいい。でも、自分は何か物足りなさを感じていました。

当時の私は印旛沼でのトーナメントに参戦していたので、まずはフリッピングロッドを必要としていました。スーパーストライクのGFL-76T(Bush Flipper)というロッドを購入しようか迷っていた時にテラミスにモデルチェンジされてしまったので、どこかの店頭在庫に残っているGFL-76Tを必死に探すか、それともテラミスのフリッピングロッドTET-76Fを購入するかの二者択一を迫られました。

何せ当時は中古タックルを扱っているお店なんてまだ皆無で、インターネットのオークションだってまだ無かった。今では考えられないことですが中古の釣具を探すという手段は無かったのです。だから結局は、現行モデルのテラミスTET-76Fを購入するしか術が無かった。
そしてリールは、当時フリッピングの教祖的存在だった林圭一さんイチ押しのアンバサダーXLTフリッピングを組みました。よくよく考えてみれば、丸型のアンバサダー一辺倒だった私が初めて購入したロープロフィールタイプのアンバサダーでした。

テラミスTET-76FとアンバサダーXLTの組み合わせは当時としては軽く、そしてアシの奥からバスを一気に引き抜けた。そして遂には、優勝の盾をも手中に収めることが出来ました。こうなってしまうと現金なもので、当初はあれほど好きになれなかったはずのテラミスでロッドを揃えていこうという気分になりました。
結局のところは、TE-57SH(シェイキング)、TE-510S(スピナーベイト)、TE-60W(ジグ&ワーム)、TET-70N(ニーリング)、TET-76F(フリッピング)、TES-60SW(スイミングワーム)、TES-66SS(スプリットショット)あたりを揃えてしまった!(もちろん当時はスミスの社員などではありません)
リールもアブライト、ライトFL、521FL、カーディナル4、ゴールドマックス63FCなどと、当時人気のあった機種で揃えていました。

けれども現在、テラミスはもう1本も手元にありません。アンバサダーライトやカーディナルゴールドマックスも然り。当時としては使いやすかった道具には違いなかったし、その性能には満足しながら使っていたはず。けれども、更に進化したタックルが登場した途端、それらのタックルは一気に輝きを失った気がした。

進化を遂げた道具は、やがては更に進化した道具に淘汰される時が来るのです。

私は以前は冬になるとスキーをしていましたが、本格的にやっている知人はシーズン毎にウェアも道具も買い替えていました。中途半端にスキーをやっていた自分には、まだ使えるのに何て贅沢なことをしているんだろう、去年のウェアだって流行を大きく外しているわけじゃないし、道具だって1年で大きく進化しているようには見えなかった。だから道具やウェアを頻繁に買い換える知人の行動が解せなかった。でも、今のバスアングラーの大半はそれと似たようなものなのかもしれません。私だって、何だかんだ言いつつも今では最新のトーナメントロッドを使っている。

それでも今なお自分の中では、当時のスーパーストライクやアンバサダーの存在感というのは完全に別格なものとなっています。初めてそれらの道具を入手してから20数年の時が経つけれど、それを手に入れた時の喜びは今でもはっきりと覚えている。自分はとうにスーパーストライクとは決別したつもりでいたけれど、やっぱりそれは自分には出来ない事のようです。そしてきっとこの先も、永遠にストライクと決別することなんて出来ないのでしょう。
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スプーンバシング・メモリー [メモリー]

アメリカに比べれば少しばかりタイムラグがあったようですが、日本でもセクシースプーンが発売となったようです(輸入・販売元はレインズさんです)。あまり事情をご存じない方のために軽く説明しておくと、アメリカではこうした1oz前後ほどもある大型スプーンが流行っているのです。

スプーンはルアーとして最も歴史の古い存在です。日本にルアーフィッシングが入ってきた時だって、ABUのトビーやアトム、フラミンゴ、そしてダーデブル、オークラといったスプーンが幅を利かせていた時代がありました。当時小学生だった私はルアーのイラストを描く際に必ずS字が入ったスプーンを描いていましたもの。それくらい、ダーデブルの赤白パターンは、まさに当時のルアーフィッシングの象徴だったと言えるかもしれない。

そして私を含む、当時の少年アングラー達は必ず「¥100スプーン」というアイテムを持っていた。いかんせん、小遣いの少ない少年達にとってはプラグといえば高価なもので、海外製は言うに及ばず国産品だってそうそう買えるものじゃなかった。けれどもスプーンだったら、まして¥100スプーンだったら気兼ねなく購入することが出来た。

¥100スプーンはいわゆるバッタモンの1つで、中にはあからさまにダーデブルやトビーのパクリデザインのものまでありました。ただ、やはり価格相応というか、スプーンの肉厚自体は薄いものばかりだし、粗悪なメッキはすぐにボロボロに剥がれてきて錆びてしまったりと、決してその品質は褒められたものではありませんでした。

でも、魚が釣れないのかというと決してそんなことはなく、薄くてヒラヒラと良く泳ぐしメッキさえ剥げなければ水中でちゃんとピカピカと光る。ニジマスもバスも良く釣れた。この、自重が軽い¥100スプーンを当時使っていたバンタム100EXのリールでロングキャスト!(おかげでだいぶキャスティングの練習にはなっていたような・・・?)そしてある程度沈めたら、ゆ~っくり、ゆ~っくりと、これを引いてくる。だって早く引くと浮いてきてしまって一定層のトレースができないんだもの。こうしてやると、¥100スプーンはヒラリヒラリと水中を舞いながら泳いでくる。極めて単純な釣り方ではありましたが、このメソッドが案外良く釣れたのです。もしも重いスプーンだったらあそこまでは釣れなかったのかもしれない。

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(上はジョンソン・スプライト。下はABUのトビー。現在のトビーはチャイナ製だが当時はれっきとしたスウェーデン製だった)

やがて私も¥100スプーン以上のクオリティを求めるようになりました。ABUのスプーンももちろん持っていましたが、お年玉をもらった際にやっとの思いで買った大切なトビーを根掛かりで無くすのは嫌なので、実釣にはもっぱらダイワさんのスプーンが多かった。リーズナブルな価格だし、綺麗だし、今見てもその造りは良いと思う。そしてあの、釣りキチ三平も使っていた。

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(写真上はシマノのスプーン。中段はダイワのダンサー。下が最も活躍したダイワ・ツイスト)

私はダイワさんのスプーンの中でも特に、ツイストというスプーンが一番のお気に入りでした。中央にはダーデブルのようなS字、しかし単なるS字模様なのではなくてその部分が溝になっているという凝りよう。だからデッドスローに引いてもその泳ぎが非常に良かった。色も派手なものが多くてバス向きだったと言えるかもしれない。

ただ巻きでもよく釣れたけれど、特に思い出に残っている釣行があります。中学の夏休み。私は友達数人と共に自転車で1時間かけて将監川に行きました。とにかく暑い日で、コーラを飲みながら汗だくになって釣っていました。そして地蔵橋の水門。ここは下流に向かって水が流れ出していて、水門のコンクリート壁は多少の水深があった。

私はその壁に沿ってスプーンを真下に落とし、メタルジグのようにシャクってみました。するとこれが大当たり!友達が皆びっくりするぐらい私だけバスが連発してしまった。やがて何匹か釣って足元でのアタリもなくなり、今度は沖に向かってロングキャスト。リトリーブしてきたらグングンというアタリが来て、今度は40cm級のデカニゴイが!当時はルアーで1日に何匹も釣れるなんてことがなかっただけに、今でもその時の事を鮮烈に覚えています。

今ではバスにスプーンを使うことなんてほぼ皆無になってしまったけれど、個人的にはメタルジグよりはスプーンの方が断然好き。ただ、アメリカのようなスプーンブームが日本に巻き起こるのかどうかは、果たして?

お盆に味わった恐怖 [メモリー]

夏ということもありますので、たまにはチョット怖い話でも。

小さい頃「お盆くらいは釣りを控えなさい」と言われた事があります。この時期に殺生はしなさるなということです(勿論、リリースなのですが)。そもそも、先祖の霊を祭るための期間なわけですからね。

私が昨年までドブシーバスを狙って通っていた川では、この時期になると精霊船(マコモで作った船に供え物を入れて流す)や精霊馬(野菜に4本脚を付けたもの、霊魂を乗せる意味合いがある)が流れてきます。下流に流れきらずに、岸に漂着しているものも多い。昼間だったらそれらを目にしてもさほど気にならないだろうけど、独りで、しかも暗がりで見るとかなりビビリます。

今日もいつものポイントに・・・ん、何か足元にあるぞ?ギャーッ!!という按配です。

そして知人と釣行した時のこと。知人は私の対岸に入り、流芯に向かって黙々とキャストを続けていました。すると上流から精霊船が流れてきて、彼の真ん前に!そして不思議なことに、下流へは流れていかず反転流に入っているかのように、彼の前でグルグル回って定位していました。
それでも黙々と釣り続ける彼を見て、なんて度胸の座った人なんだろうと思いましたが、後で合流後に聞いたらメチャクチャ怖くて動けなかったのだとか(笑)

さて、その水系であちこちのポイント開拓をしていた私は非常によく釣れる水門を発見しました。小さな水門でしたが常時激しく水を吐き出しており、潮位に関係なく魚が釣れた。ただその水門がある場所というのは幹線道路から外れたところで、外灯もなく、夜は真っ暗。しかも墓地の裏だったのです。

出来れば他の場所で釣りたいところでしたが、他の場所で毎回ノーヒットが続いていると、状況を打破するためにはあの水門に賭けるしかない、と思いました。

辺りは真っ暗闇で風もなく、虫の鳴き声以外はシーンとしています。夜だというのに空気は生暖かく、汗がジンワリと出てきます。自分が釣り人じゃなかったら、誰が好き好んでこんな薄気味悪い場所に来るだろうか。

それでも、シーバスを釣りたい一心で黙々とキャストを繰り返していた時、遂に心臓が飛び出さんばかりの恐怖を私は味わう羽目になります。



「どうだ!釣れるかぁーっ?」

「ダワァーーーーーッ!!」(私)



犬の散歩をしていた近所のオジサンが暗がりの中から突然話し掛けてきたのでした・・・

夜釣りをしている人に話し掛けるのは止めましょう。ホント、マジでビビるんですから。

ボンバー達は今? [メモリー]

私が高校生の頃だったか、当時愛読していたTACKLE BOX誌に面白い記事が載っていました。現在でも千葉で営業をされている某ショップの方が書かれていた記事でしたが、当時の自分には非常に斬新なものに思えました。

その記事というのは、千葉の小糸川でのマルタ釣り。ただでさえ釣り物の少ない寒い時期に釣れるというだけでも注目に値すると思いましたが、ヒットするのは50cmを超えるような大型もいて、潮が動き出すとそれこそガンガン釣れるのだとか。その記事には、ダーデブルのスプーンに付いていたトレブルフックがグニャリと曲げられた写真もあって、いかにそのファイトが強烈なものであるかが窺い知れました。こりゃ釣ってみたい!と思いましたがその記事に食指をソソられたのは、仲間内ではどうやら私だけだったようでした。

しかしある時、その機会が訪れました。仲間内で房総の地磯のヒラスズキ、サーフでのコチ・ヒラメを狙いましたが全員揃って完全ボーズ!!どうする?となった時に、私の提案で小糸川でのマルタ釣りに立ち寄ることにしたのです。ただ、私以外の人はあまり乗り気ではなかったけれど。

が、実際に行ってみると、川は高いコンクリート壁に阻まれており、川辺に降りるには縄バシゴを登り降りするような場所でした。雑誌に派手に書かれていたわりには誰一人として釣り人なんていなかった。川の水もなんだかドブ川のよう。う~む・・・

しかし、堰堤に目を凝らすと・・・いたーっ!!そこには60cm前後と思われる巨大なマルタが悠々と泳いでいたのです。足場がコンクリートの垂直護岸で少し高かったということもあり、もしもあんなのがヒットしても上げられないぞ?!と思いました。

しかしそんな心配は杞憂に終わりました。だって、30cm弱のニゴイしか釣れなかったんですもの。どうやら潮周りがイマイチだったようで・・・。でも、堰堤で見掛けたような大物マルタがガンガンとヒットしてくるのならそれはきっと堪えられない釣りなのだろうな。また今度チャレンジしよう!・・・とは思ったものの、仲間内の誰一人としてドブ川の釣りには魅力を感じなかったようで、結局は二度とその川のマルタ釣りにチャレンジする機会は無かったのです。

あれから20年近くの時が経っているけれど、小糸川のマルタボンバー達はどうなっているんだろう?情報源の、千葉のショップの方が釣行されているという話も聞かないし・・・。もしかして全滅しちゃった?それとも、誰も狙わないのでウジャウジャに増えている?でも、そんなことを気に掛けているのは自分くらいのものかな?