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フロートチューブ・メモリー [メモリー]

学生時代の釣行といえばもっぱらオカッパリ。釣り場への足は自転車!そんなスタイルでもそれなりにバス釣りを楽しめていたのですが、先輩グループにとんでもなくバスを釣りまくっている人達がいました。もう、釣っている数が桁違いだった。そしてその先輩達の釣りというのは、フロートチューブの釣りだったのです。

元々泳げないということもあって、フロートチューブの釣りを初めて見たときは「なんておっかない釣りなんだろう」と思いました。けれどもあまりにも歴然とした釣果の差に、しまいには私もフロートチューブの世界に足を突っ込むことになるのです。しかし、いざフロートチューブの釣りを始めてみたらこれが本当に凄かった。時代が良かったというのもありますが、将監川、牛久沼、道仙田、毎回20本は当たり前に釣っていたのではないでしょうか。誰もアプローチできない手付かずの場所を釣っていくのだから当然と言えば当然でしたが、それにもまして当時のバス達は実におおらかでした。

私は今でも、魚が最も釣れるアプローチ方法はフロートチューブだと思っています。ただ、肩コリが激しくて止めてしまいましたが・・・(腕を下ろせないため)

私の愛用していたフロートチューブというのは、今となってはメーカーは不詳なのですが『タックルボートNo.1』というフローターでした。内部にトラックのタイヤチューブを内蔵させる形式のもので、とてもコンパクトに折りたたむことができた。何せ自転車で釣り場に向かっていたのでスポーツバッグに詰め込んで自転車の荷台に乗せられるこのフローターは非常に勝手が良かった。ネイビーとグレーのツートンカラーも非常に気に入っていました。

丁度そのフロートチューブをショップで購入した帰り道に、内部に入れるトラックのタイヤチューブに買おうとタイヤ屋さんに立ち寄りました。
「このサイズのトラックのタイヤチューブを下さい!」そんなことを口走る中学生に、タイヤ屋さんはさぞかし不思議そうな顔をしていたのを覚えています。中学生が買うようなものではないですからね。「釣りで使う浮き輪があって、それ用に使いたいんです」と説明はした記憶があります。

そしていざ実釣。初めての釣行は将監川でした。ウェーダーを履いて、足ヒレをつけて、ライジャケを着て、フローターに足を通して。その姿で川に向かうと、自分の足ヒレでもう片方の足ヒレを踏んづけてコケそうになったりしながらも、なんとか無事に入水。そして、フロートチューブは後ろ向きに進むのです。まずはそれに慣れる事。そして、クルッと方向転換するにもコツがいる。

将監川は下流に貸しボート屋さんがありましたが(昔は上流部にあったものが移転した)、とある橋(水門)を境にしてその上流側は手付かず状態となっていました。誰も手を付けていないところはバズベイトで、そして同行者の後を釣る際にもフラッターテールのスイミングワームで一日中釣れ続いた。

時には長門川で釣ることもありました。すると、橋の上に人だかりが!通学途中の女子高生などが私達を見ていました。「アレって足(が底に)着いてるのかなぁ?」そんな声が聞こえたものですから足ヒレを水面にザバーッと上げて見せたらますます大騒ぎに(笑)。まぁ、普通の人にしてみれば珍しいものでしょうし、浮き輪で水の上に浮いて釣りをするなんて酔狂なことだと思う人もいるでしょうね。

でもまぁ、もし水が思いっきりクリアーで水深7~8mのボトムが見えるような釣り場にフロートチューブで浮いたりしたら、自分自身でも「怖っ!」と思うでしょうね。

利根川メモリー [メモリー]

私の利根川歴というのは相当長いです。小学校の頃から釣りに行っているから、かれこれ30年近い。もちろん、そんな昔はバス釣りではなく鯉やヘラブナ釣りだったのですけどね。

のちにヘラ釣り一辺倒になった私の父親でしたが、一時期利根川での吸い込み釣りにも随分とハマっていて、私もそれによく連れて行ってもらっていました。最近の鯉(アオウオ)釣りは、竿にアタリの感知機などがついていて時代の流れを感じてしまいます。だって私が鯉釣りをしていた頃は、竿先に鈴を取り付けるという簡単なものでしたから。魚が掛かると鈴がリンリン鳴るわけです。

突如として鈴の音がけたたましく鳴った時の緊張感!まさしく「来たーっ!!」って感じで慌てて竿のところに飛んでいったっけ。

もっとも、肝心要の鯉は全然釣れず、私達の竿に掛かる獲物といったらいつもニゴイ、ボラ、ヘラブナ、ウグイといった外道ばかりでした。それでも、当時の自分はそれで一向に構わなかったし、小学生だった私にはたかだか40cm足らずのニゴイの引きだってそれはもう大変なものだった。40cmのハクレンを釣った時なんて、それはもう大興奮でした。写真を撮って、翌日に学校で自慢しまくっていたほどです。

そして、当時は既に潮止め水門があったはずですが、結構流れが急だったし、干満の差が激しかったです。潮が引き始めると流れが一気に強くなり、ベッコウオモリの30号でさえも流された。干満の差は今とは比べ物にならないほど大きく、水没していた水中堤防が完全に干上がって陸地になってしまうくらいでした。

そして陸になった水中堤防の上には沢山のカラス貝がありました。一緒に行ったクラスメイトのT君は何をするつもりだったのかわかりませんが、そのカラス貝を大量に拾い集めて家に持って帰っていきました。

するとその翌日のことでした。T君から驚くような報告が!なんと、1つだけでしたが、カラス貝の中から真珠が出てきたというのです。きっと偶然、貝の中に真珠の核となるような異物が入ったものが成長したのでしょう。金銭的な価値などとは違った意味で、当時子供だった私達にとってそれはまさにお宝だった。

あの頃は釣りばかりでなく、川遊びも楽しかったなぁ・・・。でも最近は、川辺で遊ぶ子供は見掛けないですね。

フライフィッシング・メモリー4 [メモリー]

・・・というタイトルが付いていますが、最後の方はフライの世界から完全に逸脱していきます。ダークサイドに堕ちていく様をとくとご堪能下さい。本格的にフライをやっている方は、今日の内容は特に読まないことをお勧めします。

豊島園でウキ釣りでバンバン釣っている人達を見て、そうかあんな仕掛けにすれば釣れるのか!と思った私は早速インジケーターやらマラブーニンフやらを揃えるのでした。そしてリベンジの日を心待ちにしていました。今度こそは自分だって入れ喰いに違いないと信じていました。

そして出掛けていったのが東山湖。桟橋に陣取っている常連の人達はやっぱりフライの浮き釣りでバンバン釣り上げていた。ルアーなんかじゃとても太刀打ちできるペースでないのは私にもよくわかりました。

よ~し、今日は自分も同じ仕掛けを準備してきたのだから釣れるだろう!とワクワクしながら釣り始めました。ところが、釣れないのです。そんな馬鹿な?一体何が違うんだろう?ウキ下かな、確かにここの場所は深いし・・・しかしウキ下をあれこれ調整してもまるで駄目。何か特別なフライを使っているんだろうか?けれども、そういうわけでもなかった。

結局、フライでも二桁釣るのがやっとでした。一方、釣っている常連さんはいいペースでバンバン釣り上げていました。自分もあんな風に釣りたい!そう強く願いましたが自分と何が違うのかがまるでわかりませんでした。

しかし、ある日を境に自分の釣果が劇的に変わるようになりました。

私はそれまで、Lサイズのインジケータを付けていました。ロングキャストすると、インジケータを視認するのが困難だったからです。ところがある日、それを何気なくSサイズに変えた。その瞬間から、入れ掛かりが始まった。アレッ?と思ってLサイズに変えたらアタリが止まった。Sサイズに戻した途端にバンバン当たる。コレだったのか!

それからというもの、管理釣り場に行く度に一日中ルースニングに没頭することもしばしば。帰宅後に布団に入って目を閉じても、頭の中でインジケータがピクピク動いてる(笑)。ルースニングの楽しさに思いっきりハマっていたのでした。

そしてルースニングではありませんが、早戸川でドライフライで入れ喰いになり、70尾以上釣ったのもいい思い出です。その日はあまりに釣れるのでとことん数を伸ばしてやろうと思い、食事さえも取らずにひたすら釣りまくり、一緒に行った友達は完全に呆れていました。

しかし、ルースニングでそれなりの結果を出す事ができるようになった私でも、その遥か上を行く釣果を出している人達がいました。見るからに周囲とは釣れているペースが違う。私が1尾釣る間に、向こうは3尾以上は釣っている。何か特別なフライを使っているのに違いないと思い、私もう~んと小さいフライを試してみたりもしたのですが結果は大して変わりませんでした。悔しかった。

そして後日、彼らの秘密を知ることとなります。その人達はフライタックルで釣っているのだけれども、実はフライを使ってはいなかったのです。リーダーの先に付いていたのは、ウジ虫のような小さいワームだった。

エエーッ、マスもワームで釣れるのか?!正直驚きました。ましてやこれほど釣れるアイテムだったとは。普段はバスアングラーである私はこの釣りに大いに興味を持ちました。そしてこの頃は、こうしたワームの釣りを嗜好する人も多く、釣具店で専用(?)のワームを容易に入手することが出来ました。

そして準備万端で、ワームのルースニングをスタート。すると、もう釣り場内にライバルはいないと思えるほど毎回ブッチギリの釣果。こりゃ楽しい、なんて楽しい釣りなんだ!毎回仲間と一緒に大ハシャギしながら釣っていたものです。でも不思議と、ニジマス以外のマスは釣れませんでした。

もちろん、当時はレギュレーションでワームが制限されているなんてこともありませんでしたから、それはそれは毎回楽しい釣りをしていました。管理釣り場の釣りに限って言えば、この頃が一番楽しかったです。様々な試行錯誤を繰り返し、その間に学んだ事も多かった。最も掛かりのいい針のカタチは?ワームは柔らかい方が良いのか?ワームには味が付いている方がいいのか?リグは?結果、普段嗜好しているバス釣りの常識は見事に裏切られた。そしてますますワームを使ったルースニングの道にドップリと浸かっていくことになり、他の釣り方には目もくれなくなりました。もうこれはフライフィッシングとは言えませんけどね・・・

しかしご存知の通り、ワームを禁止するレギュレーションを設定する釣り場が増えてしまいました。私がよく足を運んでいた釣り場でも、いきなりこのレギュレーションが設定されてしまった時は、それはもうガッカリでした。おのずと足を運ぶ回数も減った。何より、ワームの威力を存分に知っているだけにもうフライに戻す気になれなかった。それ以降、ルースニング自体もあまりやらなくなってしまったというのが正直なところです。

というわけで、すっかり悪の道(笑)に走ってしまった私は、本格的なフライの道には足を踏み入れなかったというわけです。私のマリエットロッドとリール、おかしな奴の下に嫁入りしてしまったものです。


フライフィッシング・メモリー3 [メモリー]

フライフィッシングメモリーの実釣編です。
とはいえ、私は本格的なフライの道には足を踏み入れてはいません。渓流でイワナやヤマメを狙ったり、湖でディープウェーディングするような釣りを志すことはありませんでした。それどころか、徐々にダークサイドに足を踏み入れていくのです(笑)。本格的なフライマンの方は、この話の続編は読まないほうがいいのかも?

公園で黙々と練習を繰り返したこともあり、ひとまずキャスティングは出来るようになりました。そして実際に魚を釣りに行ったのは中学生の時、豊島園のプールが最初だったでしょうか。

波のプールの遠浅側の岸から、日頃鍛えたフライキャスティングの成果を出すべくロングキャスト!そして教科書どおりにリトリーブ。でもかすりもしない。フライってこんなもの?
ところが、フライでバンバン釣っている人達が居る。そして彼らはほとんど投げていない。足元から水深のある場所に陣取って、軽く打ち返しているだけ。それにどうもウキを付けているような?それが初めて目にするルースニングでした。当時はルースニングだなんて呼び名もなかったような気がします。結局その日はフライで魚を釣る事が出来ませんでした。悔しかった。

しかし、豊島園のプールでニジマスが狙えるのは冬場のみ。今のように、あちこちに管理釣り場があるような時代ではありませんでしたから、中学生が自分の足で釣りに出掛けられる場所なんて他にはありませんでした。もちろん、遠征するだけのお金だって持っていなかった。だから春以降のシーズンは、マス狙いは諦めざるを得ませんでした。

何か近場でフライのターゲットはいないのだろうか?しかし当時は、バスにしたってまだまだ釣り場が限られていましたし、ブルーギルなんて一碧湖と雄蛇が池にしかいなかった時代です。千葉では、オイカワだって身近な存在ではなかった。何も、狙う魚がいない・・・。

けれども、私はとある魚に目を付けた。それは船橋市内を流れるE川にウジャウジャ泳いでいる鯉でした。エサ釣りのオジサン達は、これを結構釣っていた。あれだけ沢山泳いでいるのが見えるのだから、目の前にマラブーニンフを落としてやれば中には喰ってしまう奴もいるのではないか?そう考えたのです。今でこそ多摩川あたりでは鯉のフライフィッシングも一般的になりましたが、当時鯉をフライで狙おうなんて馬鹿げた考えを持っていたのは私くらいだったでしょう。

そして、一応の結果は出す事が出来た。しかしその確率は極めて低く、100尾狙ってもフライを口にするのは2尾くらい(もちろん、チャミングなんて無しです)。大半の魚は私のフライにソッポを向いた。ダメだ、こりゃやってらんねぇ。

しかしやがて近所の野池で小バスが釣れるようになった。豊島園で散々ルースニングの威力を見せ付けられていた私はバスバグやポッパーなどではなく、マラブーニンフでバスを狙いました。そしてその結果は狙い通りでしたが、バスに関しては正直、ルアーで狙った方が面白いと感じました。

やっぱりフライの王道はトラウトなんだろうと思いました。だからバスのオフシーズンになったらフライでトラウトを狙いに行こうと心待ちにしていました。

(続く)


フライフィッシング・メモリー2 [メモリー]

父親のファントムPPF-806をそのまま使い続けていた私でしたが、今思えば、まだ子供だったのによくあんな重いロッドを振っていたものだと思います。確かに、当時から入門者用には#5~6番のタックルが良いとされていましたが、よりによって重いグラスロッドである必要性はありませんでした。父親がグラスロッドを選んだのは、その方が手頃な価格だったからに他なりません。

やがて私も高校生になり、アルバイトで多少の収入を得るようになりました。もちろんルアータックルも随分と買い漁りましたが、冬になってフライを意識するようになるとやっぱりフライロッドも買い換えたいと思うようになりました。せめて軽いグラファイトロッドであれば随分と釣りがラクになるのではないかと考えたのです。そしてそろそろ、ブランドものに買い換えたかった。とはいえ当時はまだまだマリエットやオービスは高嶺の花で手が届くものではありませんでした。

そんなある日、とあるチェーン店のショップにフェンウィックのフライロッドが大量に入荷しました。どうやら並行輸入物を仕入れてきたようです。ご存知の通り、当時のフェンウィックのロッドにはワールドクラス、ボロンX、HMGグラファイト、イーグルグラファイト、マトリックス、フェングラス等幾つかのグレードが存在しました。その中でイーグルグラファイトというグレードのものは比較的安価ではありましたが、ブランク自体は軽くシャキッとしていて、いかにも振り抜けが良さそうな印象を持ちました。価格が¥15000程度で入手出来たこともあり、思い切ってこれを購入。

このイーグルグラファイトのロッドは私の期待以上の働きを見せ、非常にシャープな振り抜けの良いロッドでした。まるで自分自身の腕が良くなったのではないか?と錯覚するほどに扱いやすいロッドだったのです。グラスロッドだとどうしてもワンテンポ遅れ気味だったルースニングのアタリにも、即座にシュパッ!とアワセが入れられるようになり、釣果も一気に上がった。

ただ、リールだけは相変わらず安物をそのまま使い続けていました。それで別段支障もなかったからです。そして私は徐々にバスに傾倒するようになり、いつしか冬の釣りもバスがメインになった。おのずとフライタックルを手にする機会が減っていったのです。そしてもはや頭の中がバス一色でどうしようもなくなった頃、現在の勤務先に就職するようになりました。かつて私が憧れを抱いたマリエットブランドを擁するスミス社です。


(マーチン MCリール)

スミスではオリジナルのマリエットブランド以外にも、マーチン社のフライリールを取り扱っていました。たまたま、それまで使っていた安物リールにガタが来たこともあって、価格が手頃だったマーチンMCリールを購入しました。今でもこのリールは現役で使っていますが、ラフに扱ってもビクともしませんでした。決して美しいリールというわけではないけれど、実に質実剛健で良い製品だと思います。この頃はバストーナメントに精を出していたためかフライタックルにお金を掛けるつもりはさほどありませんでした。マーチンのリールはそんな私に必要充分なものでした。


(憧れだったマリエットMR-7.5A)

ところがある時、製造したマリエットのフライリールに、検品の際に不合格としたものが出てきました。少しばかり色合いが薄く仕上がってしまったものがあったのです。実用上差し支えないとはいえ、これはもちろん市場に流すわけにはいきません。すると上司の厚意で、このリールを1台譲ってもらえることになったのです。何台かありましたが、昔から憧れていたゴールドのマリエットリール、MR-7.5Aを迷わず選びました。

とうとう自分も憧れのマリエットリールのオーナーに!あまりの嬉しさに、しばらくテーブルの上に置きっぱなしにしては、食事の合間に、TVを見ながら、何度も何度もリールを眺めたり、ハンドルを回したりしていました。


(マリエットで揃えたセッティング。自分でも惚れ惚れします)

それではロッドもマリエットで揃えよう(まぁ、自社製品を使っていないと立場上マズイですしね)ということで、マリエットプレシジョンのPR-866を購入。現在の私のメインロッドです。かねてから使っていたイーグルグラファイトはフライを始めたいという人がいたので安く譲ってあげました(今でも元気でいるのかな)。

そして、マリエットプレシジョンも実に素晴らしいロッドでした。そして何よりマリエットMR-7.5Aとの組み合わせは実に惚れ惚れとする組み合わせでした。憧れだった道具を所有する喜びというものを噛み締めていた。やがてそれだけでは収まらず、ついついライトな番手のタックルも欲しくなり同じシリーズのPR-833も追加購入。#6のロッドもオールラウンドにこなせて良いのですが、無風時、魚の射程距離が近距離であるのなら#3ロッドは実に軽快で面白い釣りを楽しませてくれました。

というわけで、フライロッドはそう何本も所有しているわけではないのですけど、格好だけは一丁前にマリエットブランドで揃えているというわけです。

ただ、これはこれで注意しなくてはならない点があります。道具が一流なのに技量がショボいとかえって恥ずかしい。だから私の場合は、あんまり人目に付かないようにしなくてはね(苦笑)。


フライフィッシング・メモリー [メモリー]

そういえばここ最近、全然フライロッドを振っていないです。私の所有物なんかになってしまったマリエットのロッドやフライリールには何とも気の毒な話です・・・。

どういうわけか昔はフライの方が上級なイメージがあって、ルアーを卒業したらフライに、という風潮が無きにしも非ずでした。今でこそバス、エリアトラウト、シーバスなどとそれぞれのジャンルが独自の世界を創り上げていますが、当時は『ルアー&フライ』というカテゴリで括られていました。そして、どちらかというとフライの方がベテラン向きとされていたのです。

そんな時代でしたからもちろん私もフライフィッシングには強い憧れを持っていました。当時は、オービス、ペゾン、ハーディー、ウィンストンといった海外製のタックルに人気がありましたが、日本では丁度マリエットのブランドが産声を上げた頃で、シチュエーション別にラインナップされたロッド群はいかにも日本のフィールドを研究し尽くして作られたもの、という印象を受けました(当時のラインナップは渓流用のショートロッド群・リトルマリエット、ニンフフィッシング用のやや長めのロッド群・マリエットプレシジョン、湖などでの高番手でのロングキャスト用・スーパーマリエット、そして金属フェルールのフラッグシップモデル・マリエットシュープリームという構成でした)。そしてマリエットはフライリールも格好良かった。当時、月間フィッシングの広告に出されていた「ザ・ニンフリール」というフレーズは未だに私の脳裏に焼きついています。

だから私にとってマリエットのフライタックルは憧れでした。まさか将来、そのタックルの製造メーカーで働くことになろうとは当時小中学生だった私には想像すら出来ませんでしたが。


(初めてのフライロッド、ダイワファントムPPF-806)

かくいう私も小学校高学年の時にフライデビュー。とはいえ、そんなクソガキが高価なフライタックルなんて持てるはずもありません。しかしこの頃、うっかりフライに手を出した父親がすぐに挫折していたこともあって、その道具を半ば自分の所有物にしていました。その道具とはダイワファントムのグラスロッド(PPF-806)にフルーガーメダリストのバッタ物のフライリール、そしてシェイクスピアのフライラインといったセッティングでした。とはいえなかなか実際に魚釣りに行くことはなく、公園で黙々とフライキャスティングの練習に励んでいたものです。

そんな私に触発されたというのもあったのか、私の友達も何人かフライをやりたいという人が出てきました。しかし当時はフライタックルの入手というのはなかなか難しく、ちゃんとしたものを購入しようと思ったら都内の有名プロショップにでも行くしかなかった。千葉の片田舎の釣具屋にはまともなフライタックルなんて売っていなかったのです。

そしてそんな友達が何人か購入してしまったのがS社から発売されていたフライフィッシングセット。ロッド、リール、ライン、リーダー、フライがセットになっていてすぐにでも釣りに行けるような内容のものでした。このセットだけは、近所の釣具屋にもよく置いてあったのです。価格も¥10000少々と手頃だったような?

しかし、そのフライセットを購入した友達は皆、キャスティングの段階でつまづいていました。ちっとも飛距離が出ていない。その様子を見かねた私が「どれどれ、貸してみなよ」とそのロッドを手にキャスティングの見本を見せようとしたら・・・あらま?!何じゃコリャっていう程に飛ばないではないですか!それじゃあ、ということで逆に私のタックルを友達に振らせたらすんなりとキャスティングすることが出来ました。ロッドで、こんなにも違うんだ。

そして後日、S社のフライセットで失敗した友達の1人が、ブローニングのフライロッドを買って来ました。「ちょっと僕にも振らせて」ということでそのロッドを貸してもらうと、ロッド自体は短いはずなのに飛ぶ飛ぶ!スルスルと面白いようにフライラインが伸びていく。やっぱりちゃんとしたブランドのものはイイんだなぁ。

ルアーだったらある程度安い道具でもキャスティングくらいは出来るけれど、フライロッドの安いものは全然ダメだ、ということを知りました。だとしたら、憧れのマリエットタックルだと今よりももっと飛ばせるのかもしれないなぁ・・・ますますマリエットタックルへの憧れを強く抱くこととなるのでした。

(続く)


バラシたものは何?・2 [メモリー]

数日前に記したアホ話が思いのほか好評(?)だったため今回も似たような話を記しましょう。

それはまだ私が現役のJBプロだった頃の話です。一応は真面目にプラクティスをするバスプロだった私は、その日も河口湖の某所をチェックしていました。偶然、近くには仲の良かったN島プロも浮いていました。その日は風が強く吹いており、ボートをステイさせるのにも若干苦労しました。

魚が周ってくるのを期待しつつ粘ってみましたがバイトがありません。もういいや、他の場所をチェックしに行こう!と思い、私はその場を離れたのでした。

やがてその日の釣りを終了し、ボートを引き上げてからの話。N島プロに言われました。
「どうしてあの時あの場所を離れたのか」と。「移動しなかったらイイ事あったのに」とも言われました。

ん、もしかしてあの後に魚が周ってきたのか?

そうではありませんでした。なんと私がポイントを去ってしまった直後、女の子二人組の手漕ぎボートが強風のために漂流して流れてきたというのです。オールも流されどうすることもできない状況だったようで、その女の子二人をN島プロのボートに乗せてボート屋まで送り届けたそうなのです。

「池島君がいたら譲ってあげたのに」
と言われ、悲しいやら何やら。

「ちなみに、可愛かった?」と聞いたところ、「まぁ普通かなぁ」との返事。ということは、少なくともブサイクではなかったということだな・・・

「それ、ちゃんと電話番号とか聞いた?」
と確認したところ、私と違って真面目な性格のN島プロはそんなことはしなかったようですが、「聞けば、教えてくれたと思うよ」との事。確かに、救助してくれた相手の要望だったら断らないですよねぇ。

それにしても、その場所にバスの群れが回遊してくることはあれど、女の子二人組が流されてくるなんて一体どれだけの確率なのやら?!もしかしたら宝クジ以下なのではないでしょうか。
あとほんの数分間、私があの場に留まっていれば、その当たりクジは自分のものだったというわけです。

その時は、とことんツイてない、と後悔したものです。そしてもちろん、そんな事ばかり考えている私の大会結果もまた、散々だったのは言うまでもありません。


M水路は今 [メモリー]

大学を卒業するまでは千葉県民だったこともあって、印旛水系には随分と通ったものです。中でも新川と西部印旛沼は自分のルーツと言っていいかもしれません。

しかし、もうちょっとコアなポイントもありました。それは沼と平行に延びている水路です。特にM水路は、仲間内でも評判のポイントでした。

M水路は、一面がキンギョモで覆われていました。印旛新川に多かったウィードはカナダモでしたが、ここのウィードはペットショップなどで売っているのと同じ、正真正銘のキンギョモでした。

ヘラ釣りの人が開けたものなのか、ヘラの釣り座がある前だけは大抵藻穴がポッカリと空いていて、そこをよく観察しているとバスやライギョが浮いていました。この釣り場はライギョも多く、特にキンギョモとパラアシが混在するエリアにはライギョが多かったのです。私はライギョが苦手なので手を出しませんでしたが、仲間内にはライギョを専門に狙う先輩も居ました。真夏にスナッグプルーフのフロッグで狙い、70cmクラスも何本かキャッチしていたそうです。

私はというと、もちろんバス狙い。しかしM水路のバスはなかなか賢く、大釣りしたという経験はありません。むしろ、カエルのルアーでウシガエルが釣れてしまった時の方が多かったような?!しかし水路の釣りには独特の趣があり、私達の間では人気のある釣り場でした。

ところが、ある事件を境にこの水路には足を運ばなくなりました。なんと、水路を埋め尽くすほどにあったはずのキンギョモがキレイサッパリ無くなってしまったのです。とてもではないけれど個人で持ち帰れる程度のものじゃありません。おそらく、観賞魚関係の業者か誰かが機材を使ってゴッソリと持って行ってしまったとしか思えませんでした。

キンギョモが無くなった後のM水路といったらなんとも味気ないこと。小バスがヒョロヒョロと泳いでいましたが狙う気にもなれなかった。それからというもの、仲間内の誰も、この水路で釣りをすることはなくなりました。

あれからもう20年もの月日が流れました。航空写真で見る限りまだM水路はあるみたいです。果たして、今はどうなっているのか?あの魚達は今でもM水路に居るのだろうか・・・?


若い世代のメモリアル [メモリー]

今日は久しぶりに同世代の人と遊びました。私の世代に限ったことではないと思いますが、同世代だから話せる話題というものがあります。だから話をしていて楽しかったし、独特の親近感がありました。けれども、ただ単に同世代だったらいいというものではありません。この歳になっても独身で遊び人の自分としては、同世代であっても所帯持ちの人と話をすると違和感を感じる事が多々あります。それだけ環境が違うということなのでしょう。

そして、精神年齢の低い私ですが、それでもだいぶ年下の人と話す際にはジェネレーションギャップを感じることもある。こちらの知識を当たり前のように話してしまうと「何ですかそれは?」という顔をされてしまう。うっかりカラオケなんて一緒に行ってしまうと特に顕著。お前、Xの「紅」を知らんのか?!でも確かに、もう10数年前の曲ですものねぇ。

私はブログ上で、よく昔の話を「メモリー」として記しています。だいたい1980年代頃の話が多いと思います。もしかしたら若い人達には何のことやらサッパリわからない部分もあるかもしれない。

でも逆に、私はそんな若い世代の「メモリー」を聞いてみたいなと思っています。私がかつて憧れていたバスタックルといえば、ABUのリールにスーパーストライクのロッド。でもきっと、若い世代の人は違うでしょうね。エバーグリーンさんやメガバスさんのタックルが出てくるのかな?そしてその道具たちにどんな思い入れや、思い出を持っているんだろう。

かつてのABU5000CやスーパーストライクFO-60に相当するような、伝説のタックルといえば何が相当するのだろう?思い出のルアーとして挙げてくるのは何だろう?POP-Xにグリフォンあたりかな?いやいや、センコー2インチなんて言われてしまったりして・・・?きっと、ファッツオーなんて知らない人もいるのだろうな。

何はともあれ、今の若い世代の人達だっていずれは歳をとります。その時に「昔、こんなのあったよね」と釣具の話を肴にお酒を飲んだりすることだってきっとあるはず。だからこそ、道具にはちゃんと愛着を持って、心に刻んでいって欲しいと切に願います。使い捨て感覚で所有していた道具の話じゃ、きっと酒の肴にはならないだろうから。


ナウなヤングのルアー釣り?! [メモリー]

かつて釣りといったら「オヤジ臭い」趣味だと言われていました。私が中学生位の頃までは、それが常識でした。モテない趣味の代表格だった。
当時はまだルアーフィッシングがそんなには浸透しておらず、釣りといえば海釣りに鯉の吸い込み釣り、ヘラブナ釣りなどが主流。確かに年齢層は高かった。

しかし学校のクラスには1人か2人は必ず釣りが好きな同級生が居て、必然的に一緒に釣りに出掛けたりもしたものです。オヤジ臭い趣味ではあったのだけれども、少なくとも私の通っていた千葉県内の学校においては、幾つかの溜め池や印旛新川などが近かったこともあって比較的釣りを趣味とする友達は多かった方だと思います。当時は私も、自転車で鯉釣りやヘラブナ釣りというケースが多かったです。

この頃、釣りの入門書にはルアーフィッシングがこう紹介されていました。
「ナウなヤングの釣り、ルアーフィッシング!」
若者の釣りとして、ルアーフィッシングが取り上げられ始めたのもこの頃です。但し、いかんせん近場に釣り場がなかった。

高校・大学に進学すると、皆やはり多少は異性を意識しだすのか、釣りをする同級生は減ったように感じられました。

しかしやがて、空前のバス釣りブームがやってきます。芸能人か何かがきっかけだったのかもしれませんが、ブームとなった背景には丁度関東のバス釣り場が全盛期を迎えていた事、当時はアウトドア自体がお洒落だという気運が高まっていた事(これに乗じて、ステーションワゴンが爆発的に売れた時代です)なども要因として挙げられるでしょう。

釣り場は一気に若者のグループやカップルで溢れたのです。これで一気に、釣り(バス釣り)はオヤジ臭い趣味から抜け出し、一躍アウトドアにおける遊びの代表格となっていったのです。

私は丁度新社会人になったばかりの頃で、私がバス釣りをやっていると知るや、色々と質問を受けたり、週末に連れて行って欲しい、やり方を教えて欲しい、などと随分言われました。まさにバス釣りの絶頂期ではありましたが、大勢の人で溢れ返る釣り場を見て、こんなブームは早く過ぎ去って欲しい、と強く願っていたのも事実です。

そしてブームは過ぎた。バス自体もかなり減った。これだけ釣り場や魚が減った現状を考えるとこれからバス釣りを始めようとする人はかなり少ないはずです。新規参入者はほとんど期待できない。

では、現在のバスアングラーは?もうすっかり所帯持ちになっている人が多いのではないでしょうか。年齢にして30~40歳代が圧倒的に多いはずです。ということは、10年後はこれが40~50歳代に移行するということ。

10年後、バス釣りは再び「オヤジ臭い趣味」に成り果ててしまうのでしょうかね?
でも、その時は自分自身も正真正銘のオヤジになっているだろうから、まぁいいか?!