SSブログ

13年 [東日本大震災]

昨年、コロナ禍明けで数年ぶりに陸前高田を訪問したのですが、その変わりように驚きました。

何箇所か自分が定期的に足を運んでいる岩手沿岸部においても、陸前高田はひときわその復興が遅れていると感じていました。いつまでたっても海沿いは更地が多く、ダンプカーが多く行き来している光景がそこにはあったのです。ですが昨年足を運んでみるとその様相は一変していました。

230528-4.jpg
230528-6.jpg

特に驚いたのは、かつて自分も行方不明者の捜索活動に加わっていた古川沼周辺の変わりようでした。そこは復興記念公園という大きくて綺麗な施設に生まれ変わっていました。もっとも、その計画自体はかねてから知ってはいたのですが、いざ出来上がった施設を目の前にすると、その規模などに驚いてしまった。そしてそこには綺麗に整備された古川沼と、その周辺を歩いている大勢の観光客の姿がありました。

自分が現地のNPO団体と共に行方不明者の捜索をした際、その捜索場所は防潮堤の建設予定場所でした。防潮堤が出来上がる前にその場所を捜索しておきたいとのものでした。防潮堤が出来上がってしまったらその場所は二度と掘り起こすことが出来なくなるからです。

130924-5.jpg

周辺は津波によって地形自体が大きく変わってしまっていました。高田松原は1本の松を残して流失し、海外線は大きく削り取られ、古川沼も海の一部となりました(現在は防潮堤によって海岸線とは隔離されています)。現地には相当量の土砂も堆積していました。実際、1mほど掘り返した地点からも行方不明者のものかどうかはわかりませんがジャンパーなどが出てきたりした。

NPO団体による行方不明者捜索で掘り起こしていた場所はあくまで陸上に過ぎませんでした。入水まではしていなかった。古川沼の沼底自体は過去にダイバーによる潜水捜索も行われていますが、それとて沼底を深くまで掘り起こしたものではありません。まだ手を付け切れていない場所がある。

当時、陸前高田市では216名の行方不明者が居ました。現在では200名となっています。その多くは海に流されてしまった可能性が高いと言えるでしょう。でも自分は、まだこの沼底で眠っている人が居るかもしれないと思っているのです。どうにもできないことではあるのだけれど。

だから現地の慰霊塔で手を合わせる時には必ず「見付けられなくて申し訳ない」という思いで手を合わせるようにしています。

被災地が復興することは誰しもの願いであるのに違いありません。自分も心からそう願い、復興支援に力を注いできました。
その一方で、家族が戻らず時が止まったままの人もいます。その人達は周囲の復興が進むほどに、自分が周囲から取り残されてしまったような複雑な気持ちでいるような気がしてなりません。

震災から13年が経った今、現地の人達が皆分け隔てなく穏やかに暮らしていって欲しいと願わずにはいられないです。
nice!(3)  コメント(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。