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フォーミュラ回顧録 [メモリー]

近年あまり愛用者を聞きませんが、私はフィッシュフォーミュラの根強い愛好者です。特に冬の釣りでは手放せない存在です。劇的に釣果を伸ばすものという印象は私も持っていませんが、貴重な1本を獲れるかどうかという状況下ではとにかく頼れるものには頼っておこうと思うからです。

そんな私もこれまでは色々なフォーミュラを使ってきました。でも、人と較べたら少ない方かな?

【スタンレー・ジグジュース】

私が初めて使ったフォーミュラがスタンレーのジグジュースでした。もう20年以上も昔の話です。時代が良かっただけに、塩や味の付いていないワームでもあまり遜色なく釣れた時代です。フォーミュラの必要性などあまり感じていませんでしたが、仲間内でこれを勧めてくれる人がおり、残り少なくなったというものを容器ごといただきました。

晩秋の印旛新川で、スーパーグラブにジグジュースをたっぷりと付けながら使ったところ連発しました。そしてそれはただの連発ではありませんでした。同じルアー、同じ場所で連発したのです。ブレイクに溜まっていた群れの魚を次々に抜いていく印象で釣っていました。通常、同じルアーで釣り続けたら数本で終わりだったと思います。しかしジグジュースを付けたスーパーグラブは釣れ続けた。ただでさえアタリの少ない厳しい時期の連発劇だったので非常に印象が強く残っています。こうした経験から、フォーミュラの有効性を信じるようになっていきました。

なお、ジグジュースは適度に粘りもありワームへの密着性も良好でした。但し、私にこれを勧めてくれた人の話では、ワームを変質させるので漬け込むのは止めておくようにとアドバイスされました。

【ウォーターランド・マジックパウダー】

学生の頃はオカッパリがほとんどだったので、ジグジュースのような大きな容器は持ち歩くのが億劫でした。また、部屋や車に臭いが残るのも何となく嫌だったのです。そんな時に出会ったのがマジックパウダーです。これはパウダー式のフォーミュラで、チャック袋に入っていたのでウェストバッグにもかさばらず入れられる優れものでした。そして臭いはなんとバニラエッセンス!甘い香りがするものでした(バニラ、ストロベリー、ナチュラルの3種があったと記憶しています)。

けれどもこのフォーミュラの最も優れていた点はワームへの密着性能です。まず、ワームをチャック袋に入れて粉まみれにします。これを水に入れると、マジックパウダーはドロドロの皮膜となってワームにまとわりついていました。数キャストしてもしっかりとワームに残っていた。この密着性については、私が今まで試してきた全てのフォーミュラの中でもダントツでナンバーワンだと思います。

但し、マジックパウダーは途中でダメにしてしまうことが多かった。ワームに付いていた水や、或いは雨などがチャック袋の中に入ってしまうと、マジックパウダーはダマになって固まってしまう。結構何パックも買い足して使っていたのですが、全てを無駄なく使い切った記憶はあまりありません。

今でもこのフォーミュラがあったら本気で欲しいと思うのですが、ヘラの練り餌に詳しい人ならばオリジナルで作れてしまうかも。

【ヨーヅリ 海老エキス】

これはルアー用ではなく、本来は海釣りでエサやコマセに混ぜるものなのだろうと思います。コンパクトなスプレー容器に惹かれて買ってみました。が、すぐにルアー用には使えないことを悟りました。ワームに吹きかけたら、弾いてしまった。ワームには全くといっていいほど付着しません。

ちなみに臭いは、初めて嗅いだ時に吐き気を覚えたほどの激臭です。もちろん本物のエビから抽出したエキスらしいので、ワームとの相性さえ良かったらなぁ~と思ってしまう一品でした。

(つづく)

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理想のマイクログラブ [メモリー]

まだワームが使えた時代の河口湖の大会での話ですが、当時はあまりにも参加者が多く、船団の中で釣りをする機会も少なくありませんでした。何せ、密度が高いところでは隣のボートとの間隔が2mと空いていないような密集した中で釣りをする。ちょっと風で流された際にエレキを踏み損ると、隣の人のボートにぶつかってしまうくらい。

当然、前方にも人がいたりするのでロングキャストなんて出来ない。軽く、ピュッと投げるだけ。自分が占有できる場所というのは、畳2畳分くらいだったかもしれません。

そんな状況下での釣りにおいては、とにかくその畳2畳の中にいる魚を確実に釣り上げることでした。4インチグラブや4インチワームでは、明らかにワームがデカイという世界でした。

だから私は1インチクラスのグラブに注目していました。リグは極小のジグヘッドをセットした。これだったら場を荒らすこともないし、どんなショートバイトでもほぼフッキングに持ち込めるので貴重なチャンスをフッキングミスで失いにくい。飛距離は確かに飛ばないけれど別にいい。どうせ大して投げない釣りです。

ところが当時の1インチグラブにはロクなものがありませんでした。どれもこれもテールの厚みがありすぎてスローに引いた際にテールが機敏に動いてくれないのです。これはきっと当時の成型精度の技術の限界というのもあったのでしょう。それと、バス用に使えそうな色がほとんどなかった。元々は海用だったり、海外ではクラッピー用などだったりするのでしょう。

テールの薄い1インチグラブが欲しい・・・たったそれだけのことなのに、私が合格点を付けられるものは市場に皆無だった。

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左の2つはラッキーストライク社のグラブ。これは一応使えるレベルのものでした。左から2番目のものはウォーターメロンですが、これは私が染めて製作したもの。

左から3番目のものは自社製品でもあったクリーピーグラブ1インチ。今だから言えますが、ほとんど使い物にならない。

で、最終的に私が使うようになったのは一番右のもの。実はこれ、サタンワーム3インチのテール部分。セコイなぁと思いつつもこれが一番良かった。使い古したワームの再利用にもなっていました。

今だったら、ゲーリー2インチグラブがあるので何も悩まずに済む。あれはテールも薄くて良く出来ていると思う。まさしく当時の私が思い描いていた理想のワームです。今はそんな優れたワームが容易に入手できるのですからありがたい話ですが、あいにく今の私の釣りにはすっかり必要性がなくなってしまいました、一口サイズのグラブ。

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ライン・メモリー 3 [メモリー]

私は大学生の頃から印旛沼で開催されていたNBCチャプタートーナメントに参加させていただくようになり、社会人になってシーニンフ12Kのフルリグを購入してからJBへとステップアップしました。当時はまだまだナイロンラインが主流でスピニングにはダイリキSSSもしくはダイリキバススペシャル・スピニングを、ベイトタックルにはダイリキバススペシャルのベイト用を使っていました。

当時、北浦ではフリッピングロッドでナツメオモリ5号のヘビーキャロライナリグを遠投して釣っていたのですが、バススペシャルのベイト用の薄紫色のライン(名称失念)はナイロンにも関わらず伸びが少なく、遠方でのバイト感知~フッキングまでをキッチリと決められる素晴らしいものでした。あまり売っている店が無く、見付けた際にはまとめ買いをしていたほどお気に入りのラインでした。

やがて、フロロカーボンラインの時代が到来します。「エッ、高い!」ただでさえルアー用のラインは高いのにフロロラインはその倍もした。100mで¥2500もするってどういうこと?!

高くて売れないんじゃない?と思いましたが一度使ったらその次元の違いに唖然とした。水深5mの、ボトムのゴツゴツ感がわかるってどういうことよ?こりゃあ、すごい。スピニングタックルにそれまで巻いていたナイロン6lbは全てフロロ4lbに巻き変えた。それでも強度はそちらの方が上だと感じた。勿論、巻き物用を除くベイトタックルもフロロにスイッチ。釣りの次元が一気に変わった。

丁度、ラインの主流がナイロンからフロロへ移行する頃のエピソードがあります。

私は知人と山中湖で釣りをすることになった。同じボートに同船しました。私は親切心で「フロロの4lb巻いてきなよ」と事前にアドバイスしておいたのですが、案の定彼はナイロンの6lbを巻いて来てしまいました。彼のホームは館山周辺の野池。そこではナイロン6lbで充分いい釣りが出来ている。その自信から来るものでした。それを見た瞬間、あ、彼、終わったなと思いました。

この日は長池の3mラインで大規模なバスのスクールを見つけ、私は1キャスト1ヒット状態が続きアッという間に20本近く釣ってしまいました。が、バックシートの彼にはアタリすらなく結局はノーフィッシュで終了。頑なに、私が貸そうと差し出すタックルを拒んだ結果がこれでした。

私自身、この頃には(ライトリグの釣りは)もうナイロンラインには戻れないと実感していました。

その頃、私は河口湖でもフロロ4lbをメインにしていましたが、一部のプロはこれを2.5lbにまで下げるようになりました。さすがにそれは細過ぎないか?!と当時は思っていましたが、私も今ではオープンウォーターのライトリグでは平気でフロロの2lbを使えるまでに成長しました(笑)。というか、それでないともう無理。

慣れというのは恐ろしいというか、タックルセッティングもそれを基準に組むので、それが当たり前になっちゃうんですね。

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ライン・メモリー 2 [メモリー]

私は高校生の頃よりとあるショップでアルバイトをさせてもらっていましたが、この頃になるとストレーンやトライリーンといった舶来品に代わり、その主役の座は国産メーカー製のルアー専用ラインに移り変わっていきました。

「銀鱗」や「将鱗」で圧倒的なシェアを持っていた東レさんからは「ソラローム」が、旭化成フィッシングライン(現在のサンライン)さんからは「Dai-Riki」が発売された。

東レさんのソラロームは当初黄色のラインでしたのでこの色を好まない私は使いませんでした。これを使うようになったのは、ソラロームⅡとなって色がグリーンになってからの事です。しかもただのグリーンではなく、太陽光に当たると紫色に輝くという、私の好きだったクリアーブルーストレーンを彷彿させる仕上がり。これは私も非常に気に入りました。ただ、私にはちょっと柔らか過ぎるかな?と思いました。当時はルアー専用ラインの定義として「リール馴染みの良い柔らかさ」が常識でもあったからだと思います。

やがて後継のブッシュランナーが発売されると、これは適度なコシがあり実に使いやすかった。私のバイト先のショップでは当時、印旛沼に通うお客さんが多く、必然的にアシの釣りが多かった。ブッシュランナーはまさにカバー撃ちをコンセプトとしていたラインだったこともあり、かなりの量を販売したのを覚えています。

一方、サンラインさんのダイリキは透明感のあるライトグレー色でした。当時のルアー用ラインは色付きが多かったのと、他社の方が値引率が高かったので初代ダイリキの受けというのは、当初は今ひとつだったように思います。ただ、私が使ってみた印象では、ちょっと硬いけれど劣化が少なくて強い。他社よりも確実に1ランク細いものを使える、と感じていました。

ダイリキも後継のバススペシャルにモデルチェンジすると色がグリーン色になりました。初代ダイリキと較べてリールへの馴染みも良くなり一気にファン層を増やしたとの感があります。ダイリキ・バススペシャルも、私のバイト先のショップでは相当な量を販売しました。当時の契約プロであった田辺哲男さんの影響も大きかったと思います。当時の田辺哲男さんの影響力というのは、フェニックスロッド然り、サタンワーム然り、とにかく凄いものがあった(勿論、今でも凄いです)。

私がバイトしていたショップというのは当時の千葉県内ではかなりの販売力があったはずで、ルアーメーカーは勿論、主要総合メーカーなどもこぞって巡回営業に来られていたのですが、不思議とラインメーカーさんで巡回営業に来られるところは僅かでした。わざわざ営業に廻らずとも、問屋経由でいくらでも注文が来るからだった・・・のかな?

しかし、サンラインさんは直接巡回営業に来られていました。その時に新製品のサンプルを頂くことが出来たのですが「ダイリキSSS」という製品でした。バス専用でなくルアーゲーム全般用ということであまり期待はしなかったのですが、使ってビックリ、これが実に扱いやすい。コシのある柔らかさといった感じでフィーリング的にはかつてのストレーンに共通するものがありましたが、強度と耐久性は当然こちらが上でした。「どのラインがいい?」とお客さんに聞かれた際には自信を持って勧めていましたし、後日そのお客さんに感想を聞くと、大概「すごく良かったよ!」という答えが返って来ました。

他社ほど値引率のいいラインではなかったものの、やはりこの商品は使い勝手の良さが評判となり、バスアングラー、そしてシーバス釣りの人達の間でも大人気商品となりました。私自身も数年間、ダイリキSSSばかりを使用していましたが、当時としてはかなりの満足度を感じていました。

(つづく)

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ライン・メモリー [メモリー]

昔と較べて、ラインは大きく進歩しました。何せ私がルアー釣りを始めた頃なんてルアー用のラインとしてはストレーン、トライリーン、アブロン位しかありませんでした。

もっともそれらは小中学生には敷居の高いものでもありましたし、そもそも売っているお店さえも限られていたので私は入手が容易だったボビン巻の無名ナイロンラインを使っていました。自分の行動範囲にバスが釣れるフィールドが無かった私は実際の釣行がなかなか叶わず、もっぱら近所の空き地でラバーキャスティングプラグを投げてキャスティングの練習に明け暮れていました。当然、ラインの消耗は激しい。だからむしろ無名のナイロンラインで丁度良かった。

それでも、自分の行動範囲内でバスが釣れるようになるとやっぱりルアー用のラインを求めるようになった。ストレーンも、トライリーンも、アブロンも一通り使いました。そして自分の中で一番良いと思ったのは、ストレーン。私は黄色いラインが好きではないので、もっぱらクリアーブルーストレーンを使っていました。太陽光下では紫色に輝くとても綺麗なライン。

適度に柔らかいけれど、コシがあるので伸び切ってヨレヨレにはなりにくい。比較的長期間しっとりしていて、ガサガサにならない。当時はあまり頻繁にラインを巻きかえることはしていませんでしたが、とても長寿命なラインだったように思います。今のラインの方が強度はあるだろうけど、扱いやすさという点で言えば、今でも十分に使えるレベル。今でもトップウォーターフリークの中に愛用者がいるというのも頷ける話です。

でもやっぱり学生の分際では、なかなかストレーンも気軽に買えるものではありませんでした。当時は確か100ydsで¥1000弱だったように記憶しています。その半額程度で買えるエサ釣り用の国産ナイロンと較べるとその価格の開きは大きいと感じていました。

ある日、仲間内の1人が「コレはいいよ」と言ってとあるボビン巻きのラインを勧めてきました。メーカーも銘柄も全く聞いた事がないもので、1000m巻きで¥800くらいで買える。大丈夫なのコレ?!

でも実際に手にしてみると・・・んっ?この色、この質感・・・まるでクリアーブルーストレーン。これってもしかして、ストレーンの徳用(主に小売店用として超特大ボビンで数1000m巻のものがあった)を小分けに巻き直したものなんじゃ・・・?でもそんな詮索なんてどうでもよく、私の仲間内はこのストレーンもどき?一色になったことは言うまでもありませんでした。

このラインは自分達の行動範囲のショップでは1軒でしか売っておらず、このショップで売られていたこのラインは、そのほとんどを私達の仲間内が買い漁っていたように思います。が、そのショップでもこのラインの販売が休止されてしまいました。再入荷の予定もないとのこと。あ~、もっと沢山買っておくんだった!仲間内の誰もがそう思いました。

一度徳用ボビンの価格に慣れてしまった私達はとても100yds¥1000の世界に戻る事が出来ず、他の徳用ボビンラインでルアー釣りに使えるレベルのものはないかとあらゆるものを試しましたが、ストレーンもどきを超えるものは見付かりませんでした。

しかし、そうこうしているうちに、私達が出入りしていたショップでストレーンの特大ボビンを入れてくれ、100m¥300程度でリールに巻かせてくれるようになった。ただ、私が好まない蛍光イエローの「ゴールデンストレーン」の方のみだったので私はあまり利用しませんでしたが、仲間内ではこれをかなり利用させてもらっていました。

当時はまだ国産のルアー専用ラインがなかった頃の話です。当時はまだストレーンを超えるラインはないと思えました。

(つづく)

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人力パワーポール [メモリー]

パワーポールというボートパーツがあります。ここ数年でこれを装着しているバスボートもよく見掛けるようになりました。ご存じない方のために軽く説明すると、浅い場所でボートを止めておくためのポールです。電動で動かす事が出来るもので、これを湖底に刺して(押し当てて)ボートを止めておく事が出来るというもの。

私がこれを初めて見た時に真っ先に思い浮かべたのは、自分自身が印旛沼で多用していた竹串でした。

よく印旛沼と牛久沼はアシに囲まれたマッディーシャローレイクということで同列に語られがちですが、沼のタイプが根本的に違う。印旛沼は確かにアシに囲まれてはいますが、それ以前に広範囲がヒシモで覆われるヒシモレイクです。牛久沼にはそれがない。つまり、アシ際に到達するためには、まずはヒシモエリアの突破が必要になる。

厳密に言えば、ヒシモエリアを避けて釣ることも出来ます。鹿島川や新川方面で釣ることです。しかし当時印旛沼で開催されていたチャプタートーナメントに出場していた私は、どうしても本湖エリアを無視するわけにはいきませんでした。というのは当時の私の装備に理由があり、レンタルボートにフットコンエレキ、2馬力エンジンという何とも中途半端な装備だったからです。当時最もウイニングエリアとして名を馳せていた鹿島川河口方面に行くには、他のボートと較べて足が遅すぎる。かといって新川方面は、10:00までは動力船が入れないというレギュレーションがあった。だから自分はヒシモが茂る本湖で釣ってこなくてはなりませんでした。

しかしヒシモエリアの突破というのは並大抵の苦労では済みませんでした。エレキで進むのはまず無理。ペラにヒシモが絡み付いて、ほんの数m進んではペラに絡みついたヒシモを取り除くという作業を延々と繰り返す羽目になります。一時、ウィードシャークというカッター状のものをエレキに装着していましたが、印旛沼のヒシモには全く歯が立たず。

では、オールは?これはエレキよりは遥かにマシですがこれもやっぱりヒシモが絡んでしまってまともに進むことは難しいのです。しかもヒシモが絡んだ状態のオールは重く、これを無理矢理漕ぐのも相当な体力を消耗します。一方、ウッド製のパドルはヒシモの絡みが少なく、まぁまぁ使えるアイテムでした。しかし、オールやパドルは進むのは大変なのに、風で押し流されるのはアッという間。風のある日は釣りになりません。

では一体どうしていたのかというと、ここで登場するのが竹串というわけです。アサヒナボートさんにお願いして毎回借りていました。これを湖底に当てながら進むというのがヒシモの中の移動方法としてはベストでした。しかも、刺したままにしておけばその場に留まることが出来る。

まさに人力パワーポール!

まぁ、スマートで格好いいスポーツフィッシングとはおおよそかけ離れていましたが、体力を使うという点では、ある意味スポーツだったのかも?

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ブチ切れメモリー・2 [メモリー]

昨日は船外機の修理にまつわる話を記しましたが、ボート関係のトラブルで最も多いものはエレクトリックモーター(以下、エレキ)に関するものでしょう。特に昔の機種は、本当に故障が多かった。

エレキはボートや船外機とは状況がやや異なり、ルアー関連に力を入れているショップでは普通に取り扱っているケースが多かったです。特にハンドコントロールのエレキは価格も手頃でこれを購入する人も多かった。私は最初からモーターガイドのフットコントロールを購入しましたが、一般的にはミンコタの65Mといった36lb程度のハンドコンエレキが一番人気だった時代でした。

当時はミンコタ、モーターガイド共にジャクソンさんが取り扱いをされていました。ストアウェイのバッテリーや、シューマッカーのバッテリーチャージャーに関しても然りです。ですのでショップとしても取り扱いやすい商品だったのは間違いありません。通常のロッドやルアーと同じように、メーカーに注文を出せばいいだけのことでしたから。

ですがこれもやはり、アフターサービスが出来るショップは限られていました。多くのショップでは修理品を店頭で預かり、これをジャクソンさんに発送し、修理依頼をするという流れだったように思います。つまり、ロッドやリールの修理と同じ感覚だったというわけです。結果的に、それなりに時間の掛かる修理だったのです。モノが大きいだけに往復運賃も馬鹿には出来ませんでした。のちにモーターガイドの取り扱いはエビスフィッシングさんに移りましたが、それでもディストリビューターに修理品を発送するという流れは変わりませんでした。さらに、パーツ在庫が無く、アメリカから取り寄せるなんてことになると、数ヶ月は待たされるケースもあった。

エレキの修理に掛かる時間というのは、当時のトーナメンターを大いに悩ませました。まさかエレキ無しではトーナメントに臨めない。シーズン中のエレキの故障というのは一歩間違えば大会への出場すら危ぶまれる可能性がありました。

ある時、私のエレキも調子がおかしくなりました。全く動かないような症状ではありませんでしたが変速の調子が狂ってしまいました。修理に出そうかどうか迷いましたが、エレキの不調が気になって試合に集中できないため、やっぱり修理に出すことにしました。

とはいえ通常ルートで修理に出したらいつまで掛かるかわかったものじゃない。しかし当時、正規代理店だったジャクソンさん以外に、池袋方面の販売店がモーターガイドの輸入販売をされていました。販売店に連絡を入れたところ了解を得る事が出来、ここにエレキを直接持ち込んで修理をお願いすることにしました。それだったら、多少は時間も短縮できるに違いないと考えたのです。

ところが、それから数週間が経っても何の連絡もありません。大会の日程もだんだんと近付いてきました。修理は出来ていますか?と電話で問い合わせたところ、まだしばらく掛かりそうだ、との事。とはいえ大会が近いこともあってそれ以上は待てない。調子が悪いままというのを覚悟で、ひとまずエレキを回収しに行くことにしました。

ところが販売店に行ってビックリ。私のエレキは事務所の中にずっと放置されてままとなっており、修理に着手したという形跡すら見られませんでした。どうやらずっと放ったらかしてあったようです。ここでも思わずブチギレ!・・・はしませんでした。その時事務所にいたのは何もわからなそうなオバチャンだったので、怒っても仕方がないと思えたからです。他の人だったら間違いなくキレていました。

エレキの修理なんて、今なら手馴れた業者であれば大した日数も掛からず直してくれる。故障しがちなパーツは店に在庫しており、その場で交換してくれる。何ともありがたい事です。昔は本当にエレキの修理にも散々苦労してきたのです。

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ブチ切れメモリー [メモリー]

今はマイボートを買うにもその選択肢は非常に多いです。ボートメーカーも多いし、新艇のみならず中古艇も選べる。アルミボートの新艇をフルリグで揃えるよりもずっと手頃な価格でFRPバスボートも選べるのだから、随分といい時代になったものです。今ではいきなりバスボートを買う人も少なくないでしょう。

昔はバスボートの中古艇なんてほとんどなかったので必然的に新艇しか選択肢はなく、結果として非常に高価な品物でした。今となっては当たり前のように取れるトレーラー車検なども、ほとんどの人が手探り状態だった。やれる業者は数えるほどしかなかった。だからバスボートというのは非常に敷居の高い乗り物だったのです。だからマイボートを買う人が最初に選ぶボートというのは、カートップ出来るアルミボートというのが当時の主流でした。

それとて当時の選択肢としては、シーニンフとミロクラフトとロウくらいしかありませんでした。サベージやクイントレックスといったブランドが出てくるのはもっと後のことです。最初に買ったマイボートがシーニンフ12Kだったというベテランバサーは多いのではないでしょうか。

ボートの選択肢があまりないばかりか、当時は販売店に関しても然りで、販売しているショップ自体も非常に限られていました。正確に言うと、販売自体はどこでも可能だったのでしょうが、アフターサービスをきちんと手掛けられるショップというのはほとんどなかった。アフターサービスを受け付けていたショップであっても当時はまだ技術面での経験値が浅いようで、なかなか信頼して任せられるようなショップというのはありませんでした。

私も随分とボート関係のアフター面では泣かされてきました。特に当時はバリバリのトーナメンターだったので、ボートの不具合というのは致命傷、次の大会までに何としても直しておきたいと考えるので修理にあまり日数を掛けられても困る。だから常にピリピリしていました。

ある時、船外機の調子がおかしくなりました。スロットルを開けても回転数が上がらない。プレーンするどころかデッドスローでしか走れなくなりました。帰宅してすぐ、購入した販売店に修理を依頼。ほどなくして「直りました」との連絡。ホッ、大会までには間に合った。ところが実際にはちっとも直っていませんでした。症状は全く改善されていない。この時、販売店が「直った」と誤認したのには訳がありました。空気中でペラを空ぶかしすると回転が上がるのに、水中に入れると上がらないという厄介な症状だったからでした。

だから私もこの時だけは、販売店に対して大人の対応をしたつもり。他に頼れる店もなかったことから、再度この販売店に修理を依頼。ちなみにここのお店がどこかは記しませんが、当時としてはボート販売でもかなり有名だったショップです。

そしてまた「直りました」との連絡。しかし結果は同じ、やっぱり直ってない。さすがの私も堪忍袋の緒が切れ始めていました。だって直ってもいないのに修理代だけはしっかり取られていたんですから。販売店曰く「工賃」なのだそうで、修理作業に費やした時間×工賃を修理代として請求しているのだそう。

ということは、スキルの低い作業員が「あーでもない、こーでもない」と悩みながら無駄な時間を費やせば費やすほど修理代金はどんどん上がっていくというわけです。それでも結果として修理が出来ていればまだいい。でもこの時はそうじゃなかった。

「結果として修理が出来ていないのに、無駄な工賃を支払えって言うのか!」 さすがの私もとうとうブチギレ。店内のお客さんドン引き。

ちなみに最終的には船外機の修理は出来ました。でも実際のところ、何が原因でそのような不具合が起きていたのかは全くわからなかったそうで、燃料系統、電気系統、その他可能性がある箇所はほぼ全ていじったとの事。その中のどこかが正解だったのでしょう、一応症状は完治されました。

が、当然の如く随分と高い「工賃」を支払うハメになりました。作業員のスキルが低いが故に故障の原因すら特定できず、的確な修理も出来ないというのに、その分高い修理代を支払わされたというのは大いに腑に落ちないものがありました。その店でボートを購入した事を強く後悔したことは言うまでもありません。

まぁ、私の体験談は当時のトーナメント仲間の間にはそれなりに広まっていたはずなので、それが当時のそのお店の評判の一部にはなっていたと思います。だからというわけではないでしょうが、現在はそのお店ではボートの販売はしていないようです。

それに較べれば、現在ではあちこちに優良な販売店、そして優秀なメカニックがいます。修理に持ち込めば、迅速かつ的確な修理をしてくれる。信頼できるショップやメカニックとのコネクションというのは、マイボートを所有する上では一番重要なものと言えるかもしれません。

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忘れられたG [メモリー]

クリスマスルアー繋がりの話になりますが、昨年のヘドンクリスマスルアーはベビートーピードのGフィニッシュカラーでした。クリスマスルアーはこれまで冬をイメージするパールホワイトなどをベースカラーとすることが多かったのですが、毎回同じじゃつまらない。Gフィニッシュのクリスマスルアーはちょっとした私なりの変化球でした。

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このGフィニッシュのクリスマストーピード、発表直後に色々と反応があって面白かった。釣り歴の長い人は「何で今さらGフィニッシュなの?」という意見もありましたし、過去にGフィニッシュのルアーでいい思いをした経験のある人は「折角出してくれたのならまた使ってみるよ」という人も居た。

けれども一番ショックだったのはこの意見。「うわぁ!こんなカラーがあるんですね!」えっ!Gフィニッシュを知らないのか!

Gフィニッシュのルアーというのは現在でもプラドコヘドンにラインナップされています。ザラスプーク、トーピードなど。プラドコ傘下の他のブランドにも存在する。けれども日本製のルアーに関しては昔にブームがあって、それっきりほぼ絶滅してしまいほとんど話題にも出てこない。なるほど、よくよく考えてみたらかれこれ20年以上も前の話だから、そりゃ知らない世代も多いわけです。さすがに私も若い世代の人を相手におニャン子クラブやスケバン刑事の話題は出しませんが、まさかGフィニッシュまで同レベルだったとは。

自分もすっかり歳とったんだなぁ・・・

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ダイワさんのバスハンターM、スミスのミラクルリフレクション、ヘドンのザラパピー、コーデルのスーパースポット。どれも初めて見た瞬間に一目惚れして購入し、部屋でじっくりと眺めてはその独特の輝きにウットリした。太陽光の下で見るとさらに虹色に輝く美しさに感動した。水面でジグザグ泳ぐザラパピーはキラキラと光り輝いていた。こんな輝きを持ったルアー、今までなかった。トップが苦手なはずの私が操るルアーでさえも、次々とバスがヒットしてくるその威力は、私をGフィニッシュ信者にするのにそう時間は掛かりませんでした。

古いものだから、大して話題にならないからという理由でその実力を否定するのは間違いです。Gフィニッシュには独特の効果があるはずだと自分は信じて疑いません。だってこんな輝き方、パールホワイトでも、クロームメッキでも、ホログラムフィニッシュでも絶対に出せないもの。

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オレンジミノーのオジサン [メモリー]

近所に釣り場があって、暇な時にはすぐに釣りに行ければどんなにいいだろう。それでいて時間にも余裕があって毎日釣りに行けたら最高だ!釣り人たるものそう考える人は少なくないはずです。でも実際のところは釣りに行ける時間なんて週末くらいのものだし、車で数時間かけて釣りに行くというケースがほとんどでしょう。

ですが私は数年間、頻繁に釣りに行ける環境下にあった。もう10年以上も前のことになりますが、転職を機に思い切って都内から埼玉県の吉川市という街に引っ越したのです。ここには当時私の勤務先だったスミスの商品センターがあるのです。その通勤時間、10分!!

当時はまだ釣りブームを引きずっていましたから仕事自体は結構忙しく残業する日ももちろんありましたが、もしも定時に退社してしまうと、何と18:00前には帰宅出来てしまう。そんな日は当然、ロッドを持って近所の川に釣りに出掛けていました。それまでは都内でハードな業務に終われる日々を過ごしていた私には、あまりにも拍子抜けしてしまうようなのんびりとした日々。果たしてこんな生活をしていてイイんだろうか?とまるで何かいけないことをしているような気分になってしまうほど、ちょっとした罪悪感のようなものさえ感じたものです。

当初はもちろん中川でバスを狙っていました。夕マヅメのいい時間帯に釣りをしているんだからそれなりに釣れるだろうという甘い目論見は数ヵ月後には完全に崩壊してしまっていました。この川でバスを狙って釣るのは無理だ・・・夕方釣行も徐々に足が遠のいていきました。

ところが、ある日とある支流で70cmオーバーのシーバスをキャッチしました。偶然だろうと思っていたのにどういうわけか行く度にシーバスばかりが釣れてしまう。私が投げるルアーは、いつの間にかミノーに変わった。これが私の川シーバス釣りの始まりでした。

何シーズンかを経て、このゲームは夏が中心なんだと知った。私の経験上は7~8月が最もいい。だからこの時期は仕事が終わると毎日川に行って数時間ロッドを振るという日々を過ごしました。今でこそ埼玉の河川でシーバスを狙うアングラーもいるようですが、当時はこんなところでシーバスが釣れるだなんて誰も信じてくれなかった。夜な夜な川でルアーを投げ続ける私の姿は、川辺を散歩している人にも奇特に思われていたようです。たまに「釣れるかい?この辺りはバスなんて釣れないよ」と近所の人に声を掛けられることもしばしばでした。

しかしある日、私がシーバスを釣り上げるところを近所のオジサンに見られてしまいました。私は秘密主義者なので現場であまり多くを語ることはありませんが、見られてしまっては仕方がない。夏になるとこの辺りでシーバスが釣れること、そしてこの時のヒットルアーはパニッシュのCORという色だったのですが、オレンジ色のこのルアーが一番釣れるということを正直に話したのでした。

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(中川水系でダントツの釣果を叩き出してきたパニッシュ85F・CORカラー。現在は廃盤色)

その事実がオジサンには軽いカルチャーショックだったらしく、「ココはオレンジ色のルアーでスズキが釣れるんだよ!」とその界隈の釣り人に言いふらしていたようでした。やっぱり、教えるんじゃなかった。

そして数日後、なんとその近所のオジサンがロッドを持ってそのポイントにやってきた!投げ竿と思わしきロッドの先には、パニッシュではありませんでしたがオレンジ色のミノー(笑)。そして沖目に向かってエイヤーッとキャスト!リールをガンガン巻き始めた。(あぁっ、それは危険だ!)

ゴンッ!水面が渦を巻いた。しかしフックアップはせず。オジサン、いきなりのアタリにビックリしている様子。しかもキャストするたびに強烈なヒットがある。なかなかフッキングしないようでしたが、やがて遂にロッドが強烈に締め込まれた。(あ~ぁ、やっちゃったよ)

ロッドは一気にノサれて瞬時にラインブレイク。オジサン、呆然。きっと心臓バクバクだったのでしょう。しかし手持ちのルアーは1個のみだったらしく、その場は引き返していきました。かなり興奮している様子で、きっと大型のスズキがヒットしたものと思っていたのでしょう。

それからというもの、そのポイントでオジサンの姿を見掛けることはなかったのですが、後日悟ったのでしょうかね、キャストする毎にガンガンとルアーに当たるその正体が、沖目で群れている巨大なコイやレンギョの群れだったってことに。

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