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次の一歩へ。7 [東日本大震災]

7月末に私がタックル類を提供させていただいた岩手県宮古市の浄土ヶ浜マリンハウスさん。元々貸出用の釣具もあったのですが全て津波に呑まれてしまった。当然、釣具の貸出が出来なくなっていました。そこで今回、私が貸出用の釣具を提供させていただいたというわけです。

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ここはローボートで沖合いに出ることが出来る。風光明媚な島々に囲まれた静かな湾となっており、とても静かな海です。まるで湖のよう。ローボートでも問題なく釣りが楽しめる。そしてようやく貸出用の釣具も揃った。手ぶらで遊びにきてもらっても気軽に釣りが楽しめる環境が復活した。これは東北太平洋側において希少な環境でしょう。

海岸線ではまだ釣りが出来る雰囲気でないところも多い。かといって、釣り船は費用が掛かるのでそう頻繁には利用できない。けれども手漕ぎのローボートだったら費用もさほど掛からないし、雰囲気を気にする必要もない。手軽に釣りが楽しめるというものです。何より、岸釣りより釣れるでしょう。

とまぁ、環境は作り上げることが出来た。これにて終了!・・・じゃあない。あとはこの環境の存在を広く周知させていくことが必要です。そう思って、実はあれこれ画策を進めていました。

実は今回、とある雑誌社さんの協力が得られることになりました。現地での釣りを取材して、記事にしてもらえることになった。しかも今回だけでなく、年に1~2回の継続的な協力をしていただけることとなった。自分が言うのも何ですが、これは本当に凄いことです。

その雑誌社さんの協力があれば大勢の釣り人にこの環境を周知させることが出来る。おそらくは多くの釣り客を呼び戻す原動力になり得るはず。釣り客を呼び戻すのにこれ以上の手段はないというくらいに、最高の宣伝方法を実現することが出来そうです。

やった!何か一気に戦力がアップしたような気がする。

さて、あとは取材に起用するアングラーが必要です。私がとり付けた取材ではあるけれど、自分がでしゃばるつもりはない。私なんかが誌面を飾るより、地元で頑張っている人がいいなぁ。というわけで、これから数名のアングラーに取材の打診を予定。取材を受けてもらえるかどうかはわからないけど、いつも頑張っている盛岡のあの人と、宮古のあの人にお願いしようか。スミスとは全然関係ないアングラーですけど(汗)。というわけで、私ももうあと一頑張りです。

私が目指すところは被災地に釣具を提供することじゃない。この地が再び、大勢の釣り人で賑わうこと。各種復興支援活動の目指すところはさまざまだけれど、宮古市の釣り環境支援に関してはそれが私の目指しているゴールとなる。

多分、まだまだゴールは遠い。でもここにきて、なかなか面白い展開になってきました。

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次の一歩へ。6 [東日本大震災]

夏期休暇を利用して岩手に出向いてから、早一ヶ月が経とうとしています。この旅での目的はいくつかあり、ボランティア活動に身を投じることで被災地のニーズを見極め、今後の支援活動の指針を見出して来ることも目的の一つでした。

私自身、実行には移していないまでも、かねてから頭に思い描いていた構想がいくつかありました。でも果たしてそれは本当に被災地で求められていることなのだろうか?こればかりは自分自身が被災地に出向くことでしか本当の部分を見出せないと思いました。

私のアイデアの1つにこんなものがあります。立地場所にもよりますが、被災地の老人ホームや病院、高齢者が住む仮設住宅に救命胴衣を寄付してはどうか、というものです。もしも、前回同様レベルの津波が来たとしたら老人や病人はまず逃げ切れない。救命胴衣があればいざという時にでも生存率を上げられるかもしれない。
もちろんそのような事態になってはいけないのですが、少なくとも保険というか、不安を和らげ多少の安心感は得られるのではないか、と考えるのです。


まぁ、実現させるには相当な資金も必要になるはずなので私個人でやるには限度がありますが・・・

しかし実際のところ、仮設住宅の多くは高台にあった。また仮設住宅の人からは、部屋が狭くて物の置き場がないのが悩みだと聞いた。これはとても、救命胴衣なんて邪魔になるだけでしょう。

ボランティア活動にしても、街中の復旧作業というのはほぼ終わり、現在は住民の方々の生活支援に主軸が移ってきています。このような状況の中、自分に出来る事は何なのか?実のところ、かえってわからなくなった。次の一歩の具体策を見失ってしまったのです。

現在活動をされている団体に協力することで何かやれることはあるかもしれない。談話が中心になると思いますが、社協を通じたボランティアとして、被災者の心のケアを地道に続けていくことも大事かもしれない。でも、ボランティア団体や社協の行き届かない部分にこそ本当のニーズがあるのではないか、そんな気がしているのです。それが一部の人達のニーズであっても構わない。

自分は個人ボランティア。保険に入っているので社協を通じた通常のボランティアとしても動けるけれど、やはり自分は個人活動の方が合っている気がする。臨機応変に、そしてスピーディーに動けることが信条。いざとなれば、私財を注ぎ込むことだっていとわない。家や家族を失った人に比べたら、多少の私財を投じることなんてほんの些細な事でしかないと考えるからです。

個人の力は小さいけれど、個人だから出来ることがきっとある。これからも、被災地の為に自分がやれることを探し、実行していく。

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次の一歩へ。5 [東日本大震災]

7/31(火)

この日は昨日とは別の仮設住宅に出向くこととなった。そこは公園の敷地内に建てられた仮設住宅でした。内容としては昨日とほぼ同じでしたが、朝、社協のスタッフさんにこのように言われた。
「今日池島さんと組むボランティアの人なんですが、ちょっと体が悪いんです。その方のサポートも併せてお願いできませんか?」


私とチームを組んだYさんは左半身不随で、左手と左足を動かすことが出来ませんでした。車椅子ではありませんでしたが左足を引きずりながらゆっくりと歩くので、悪路では転倒する可能性もあるとのことでした。神奈川からいらしたそうですが、元々はカイロプラクティックの仕事をされていたそうで、その道具も持ってきていました。

「池島さん、左の肩と首が良くないですね」
「エッ!」
実はその通りで、1ヶ月ほど前から左肩に痛みを感じるようになり、左手を大きく上に上げたり、回すことが出来なくなっていました。おまけに、無理に動かすとボキボキ音がするようになった。今は片方向にしか寝返りをうてない。四十肩と呼ばれるものなのか、でも荒天時にバスボートでラフに走行した後に発症した気もするので、軽い鞭打ちなのか・・・いずれにせよ今のところ放ってあって、限られた人にしか話していないものです。


住民の方がまだ来ていないので今のうちに軽く処置しておきましょうかということでその好意に甘えることにしました。その結果、う~む多少は軽くなった・・・かな?それにしてもまだ会って1時間も経っていないのに私の体の不具合を見抜くとは。

Yさんは1週間ほど前から泊り込んで、現地でボランティア活動を続けていました。8月8日頃までは滞在し、ボランティア活動を続けていくのだそう。こうした長期滞在型の活動をこれまで何度も行ってきているのだとか。宮古市のボランティアの中では、ちょっとばかり顔が知られた存在のようでした。

ただ、震災直後は「自分が行くと足手まといになってしまう」と思い、活動はされていなかったようなのですが、その後、仮設住宅での談話等、自分でも出来そうなボランティア活動を見つけ、社協の了解をもらい活動を続けているとのこと。

これだけ体が不自由だったら、普通は自分が人の助けを借りる事を考えるんじゃないだろうか。Yさんは全く逆で、自分の体が不自由なのに人を助けることを考え、そして実行している。何て凄い人なんだ・・・

そしてその後、こう付け加えた。
「自分の体がこんなじゃなかったら、自分はもっと色々やりたかった」


自分は五体満足な体を持っていながら、やっていることはYさんの足元にも及んでいない。とても恥ずべきことだと思いました。

事実、この日も何人もの仮設住宅の住人の方々がYさんの処方を受けて喜んでいました。自分は五体満足な健康体だけれど、そんな技術は持っていない。少なくとも自分などより、Yさんの方が住民の人たちの為になっていたように思う。片腕片足しか動かせないYさんに比べて、自分の方がボランティアとしては明らかに劣っていた・・・

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昼過ぎ、集会場に一人の来客がありました。北海道から単身バイクでやってきたというSさんは、普段は北海道での山岳ガイドをやっているのだそう。以前に、私と同じようにこの仮設住宅をボランティアとして訪れ、その際に北海道の山の話をしたところ住人の方々から大変に喜ばれ、今度は写真を見せに来ると約束したので、今回は約束通りに写真を持ってやってきたそうです。これには住人の皆さんも大喜びで続々と集まってきました。

デジカメをケーブルで液晶テレビに繋ぐと、Sさん自身が撮影してきた利尻島の高山植物や山の風景、ヒグマやシカといった動物の写真が次々にTV画面に映し出されました。ヒグマの親子に遭遇してしまった時にはもう駄目かもしれないと思ったとか。それでも写真を撮っていたのだから凄い。バイクで走行中に鹿とぶつかり、バイクが廃車になったなんていう話も普通の人からは出て来ない内容だろう。住民の方々ばかりでなく、私もSさんの話に釘付けになるのでした。

そして思った。こういう方法で住民の人達を楽しませる方法もアリなのだと。

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前日に出向いた仮設住宅にも、この日に出向いた仮設住宅にもグニャグニャに曲がったフォークが残されていた。数日前に手品をする人が訪れて、皆を楽しませていったものだという。その手品師の人も、あちこちの仮設住宅を周っているようだ。

同様に、住民の人や社協スタッフを描いたと思われる似顔絵なども集会場に飾られていた。似顔絵を描きながら、仮設住宅の住民を楽しませて周っている人もいるようだ。

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誰にでも出来ると思われがちな「談話」だが、この種のボランティアに本気で取り組んでいる人達は「談話」はしないのだと知った。自らが得意とするものを武器として住民の人達を楽しませることに徹しているのです。花、カイロプラクティック、写真、手品、似顔絵、みんなそう。談話をするとなると、どうしても地震や津波の話になる。そうではなく、自分の得意としているものを披露したり、体験してもらったりすることで住民の方々に楽しい時間を過ごしてもらう。ただひたすらにそれに徹しているのです。もはやボランティアというより、やっていること自体はプロに近い。

では、自分が武器に出来るものは何だろう?ここではどんなにバス釣りの知識があったって、何の役にも立ちはしない。あれ?もしかして今の自分には何の武器もないんじゃないのか?

自らのボランティアスキルの低さを痛感せずにはいられなかった。

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宮古市で活動する多くのボランティアの人が「かわいキャンプ」と記されたワッペンを付けていた。聞くと、かわいキャンプというのは多くのボランティアがベース基地として活用している施設だそうで、宮古市内にある高校の校舎だった建物が利用されている。場所を確認すると街中からはだいぶ離れた、山の上の方にありました。
宿泊費は無料で、特に長期滞在をするボランティアの人には喜ばれているらしい。もちろん個室などではなく、教室を改造した広間を多くの人と共有するかたちになる。もちろん床にザコ寝だ。シャワーはあるが風呂はない。ここには大勢のベテランボランティアが宿泊しており、情報交換の場としての価値も高いと言われた。


私はその存在を知らず、駅前のビジネスホテルに宿泊してしまったのだが、実に惜しいことをしたと思った。これまでの自分は単独でボランティア活動や支援活動を行ってきた。フットワークの軽さなど、単独なりの良さがあるが、仲間がいないため情報収集力に欠ける。かわいキャンプにはきっと大勢の有志が集まっているんだろう。ここに泊まっていたら、志を共に出来る仲間が出来たかもしれない。またの機会があったら、次回からはここを利用したいと強く思った。

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活動を終えた他チームのボランティアの人に「お疲れ様でした」と声を掛けたが、冴えない表情をしている。聞くと、住民の方が集会所に誰一人として来なかったという。これに関しては受付時に、社協スタッフからも言われていた。「もしかしたら誰も来ないということもあり得ますが、ご了承ください」と。

集会所に来るのは住民の任意であり、それを強制することは出来ない。どんなに遠方から駆けつけようと、どれだけ大きな意気込みをもってやってきたとしても、有志の思いが必ず報われるとは限らない。この地を訪れるボランティアには、そうした「報われないかもしれない」というリスクを背負うことが義務付けられる。

自分が活動した仮設住宅では、大勢の住民が集会所にやってきてくれた。他のボランティアの人達と情報交換をしてみたところ、際立って人数が多かったようだ。そうした面において自分はツイていたのかもしれない。

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自らの意思で各地からこの地に集まってきたボランティアの人達は年齢も職業も性別も、中には国籍が違う人までいたりするのですが、皆、凛とした強さを感じました。無理もありません、既にその場にいる時点で、その人には信念と行動力と正義感がある事は明らかだからです。これらはそう間単にブレたりはしない。
周囲の人間は皆、同じ志を持つ仲間であり、互いに尊敬の念がある。だから上下関係や派閥じみたものは存在しない。力を合わせることの大切さがよくわかっている。


それに比べて都会人の日常は一体何なんだ?自分の置かれた環境への不平不満ばかりを口にし、派閥や策略によって他人を落としいれ、物事を自分の思い通りに進めようと企む愚か者がゴロゴロしている。そこまで酷くはなくとも、まるで善意を感じられない人間が何と多いことか。

少しでもそうした自覚のある人は、被災地に行き、人生の価値観を見直して来るといい。そうすれば日本は今よりもちょっとだけ、良い国になる。

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次の一歩へ。4 [東日本大震災]

7/29(日)夕方

マリンハウスさんに釣具支援品を届けた後、宮古市社協に、翌二日間のボランティア登録をしに行きました。事前に加入しておいたボランティア保険を提示し、氏名、住所、連絡先、そして滞在先を登録名簿に記しました。これは当日でも良いのですが、時間に余裕が生まれたため前倒しにして前日に行いました。結果として良かったと思います。

「何でもやりますから」という私に対し、社協スタッフの方がこのように言われました。
「現在では瓦礫撤去や泥掻きといった仕事はなく、おそらくどこかの仮設住宅に出向いて談話をしていただくことになると思います。そのような内容ですが、それでも良いですか?」


仮設住宅を訪問し、集会所で住民の方の話し相手をするという内容です。冷房の効いた部屋で住民の方々とお茶でも飲みながら談笑する。猛暑の屋外で汗水流しながら瓦礫や泥の撤去をするという内容とはあまりにも正反対。きっと、かえって抵抗を感じるボランティアの方もいるのでしょう。私も少なからずそう思った。

しかし、私は「何でもやる」つもりで来たのと、いずれにせよ宮古市以外の選択肢がない日程だったので「はい」と答えました。

暑さに弱い自分としては少しホッとした本音の部分もありましたが、おそらくは高齢者が中心であろう仮設住宅の住民の方と話を合わせられることが出来るのか?もちろん震災当時の事を思い出させるのはタブーなのだろうし・・・でも、現地の人たちが何を求めているのかを知りたい自分にとってはむしろ好都合なのかもしれない、そんな不安と錯綜する思いに駆られました。

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この日の夜、ホテルを出て街中をブラブラしていたら、たまたま宮古のお祭りでした。もちろん、昨年は中止だった。大勢の人と、物凄いパワーを感じました。ここの人達は、強い!自分などよりも遥かに。

7/30(月)

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ボランティア活動初日。プレハブであるボランティアセンターの前には大勢の同志が集まってきました。40代以上の男性が多かったのですが、中学生の団体、デンマークから来たという老夫婦、若い女性も中にはいました。

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2~3名のチームに分かれ、各所の仮設住宅に割り振られました。私は神奈川県から来たという50~60代の男性Sさんと組みました。

Sさんはボランティア活動の経験が豊富なようでしたが、これまでは瓦礫撤去等の力仕事を中心に活動をされてきたとの事でした。仮設住宅での談話といった内容のものは経験がないようでしたが、この日は宮古以外のボランティア活動が見当たらなかったためこちらに来たとおっしゃっていました。

また、社協からの事前説明においてはやはり、こちら側から震災関連の話を振らないように、との事でした(住民の方から話が出た場合はその限りではない)。当然の事ながら、中にはナーバスな方もおられるようです。また、外に出ている人に声を掛けるのは問題ないが各世帯を訪問することは禁止されていました。

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向かった仮設住宅は、中学校の校庭に建てられたものでした。私達が到着した時、集会所には既に先客がいました。4名ほどの、年配の女性グループです。その方々もボランティアであり、熱海に本部を持つ団体だそうで、簡単な生け花を仮設住宅の住民の方々に楽しんでもらおうと、こうして被災地の仮設住宅を回っているのだそうです。自分達で栽培したという花と、茶道の道具を準備してきていました。仮設住宅内での事前告知がされていたようで、やがて時間になるとお茶会を楽しみにされていた住民の方々が続々と集まってきました。

この日集まった住民の方々は皆年配の女性でした。男性はなかなか集会所に顔を見せることはないとのこと。自分も男なので、なんとなくわかる気はしますが・・・

そして、お茶&花会。中年男性陣である私とSさんもこれに混ざり奮闘?しかしSさんは日頃ハードな活動をされているためか、やはりこうした内容(自分自身も住民の方々と共に楽しく過ごす)に多少の違和感を感じていたようでした。

お茶会は昼で終了。お茶会ボランティアの方々も帰って行きました。8月は他県の仮設住宅で活動するとの事。日頃、年配の女性に対してこのような印象を抱くことはまずないですが「この人達、格好いいわ」と素直に思えました。

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午後、住民の方々と色々な話をすることができました。自分は単刀直入にこう聞いた。
「仮設住宅での生活で、何か困っていることとか、何か必要としているものはありますか?」


とりあえず、特には・・・という雰囲気になりましたが、一人の方が口を開いた。
「物置だ、物置があるといい」
すると他の住民の方も一同に、その意見に賛同していました。


入居者数によって違いはあるようですが、おおむね仮設住宅の部屋は狭い。単身者の場合は4.5畳一間なんて部屋もある。とにかく物の置き場に困っているとのことでした。特に現在であれば、冬用の衣類や布団の置き場に困っているといい、中には押入れの中で寝ている人もいるのだとか。

物置かぁ、それは置き場の問題もあるし、金銭的にも自分が協力できる範疇を超えているなぁ・・・

しかしこの仮設住宅、90戸あるうち50戸が入居されていて、40戸は空き部屋だというのです。何にも利用されていない。その空き部屋を開放してもらえば問題は簡単に解決する。しかし、県の管轄らしいのですが、要望を出しても断られてしまうのだそうです。中にはほぼ埋まっている仮設住宅もあるようなのでその辺りとの兼ね合いかとは思うのですが、何とかならないものなのか。

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その他、住民の人達や関係者の方々と話をして知ったこと。

  • 集会所に来るような住民の人は概ね社交的で温厚な人が多いが、住民全てがそうではない。以前、「花を植えてもらえれば癒しになるだろう」という善意でボランティアの人がプランターを持ってある世帯に出向いたところ、「水道代は誰が出すというんだ!」と突き返されたことがある。ボランティアの方はかなりショックを受けていたそう。
  • とある仮設住宅では住民の中に派閥が生じ、それに耐え切れなくなった人が出て行ってしまった。
  • 初期に建てられた仮設住宅は造りが酷く、最初は断熱材さえ入っていなかった。既に10数回もの補修工事が繰り返されており、落ち着いて住めない。反面、後期に建てられたものはしっかりしており、仮設御殿と呼ばれる立派な仮設住宅も存在する。入居時期により、当たり外れがあったのは間違いない。
  • 仮設住宅に母親と二人で住んでいたところ、離婚した娘が帰ってくることになった。子供が二人いる。しかし、元々娘が住んでいた家が被災していたわけではなく、権利がないということで新たに仮設住宅の部屋に入ることが出来なかった。空き部屋なんて沢山あるのに。やむなく、狭い部屋に5人で住んでいる。

********************

Sさんは特にそう感じていた様子でしたが、私自身も、冷房の効いた部屋でお茶を飲みながらの談話が果たしてボランティア活動と言えるのか?という違和感を払拭することが出来ませんでした。おまけに、何だか客人扱いなのです。お菓子やコーヒーまで出てくる。
「自分、やりますよ!」
「いえいえ、いいですから座ってて下さい」
「・・・・・」


この日の活動を終え、そのことを正直に伝えたところ、このように言われた。
「この仮設住宅には単身の高齢者も多いのです。一見すると楽しく世間話をしているように見えたでしょうが、例えば明るく見えたであろう○○さんは、実はご主人と息子二人を津波で亡くした単身者です。4畳半の部屋に戻ると本当に独りぼっちになってしまうんです。こうして、集会場で皆さんと過ごしている時間が唯一の楽しみなんですよ。だからわざわざボランティアさんにお願いしているんです」


談話の中では知り得なかった事情を知り、思わず絶句する。

首都圏で、事故などで家族を亡くしたという方は少数だろう。けれどもここでは津波で家族が犠牲になった人なんて当たり前のように存在するという現実。中には自分以外の家族を全員失い、独りになった人もいる。収入すらない年配の方が、家族を失い独りきりになってしまった。さらに、いずれは仮設住宅を出なければいけない時も来る。頼る家族さえいなくなってしまったのに、将来を不安に感じないわけがない。街がどんなに復興しても、この人の置かれた境遇が良くなることは考えられない。

2011年3月10日まで、家族と共に平穏に暮らしていたごく普通の住民だった。その幸せに包まれたままでその後の人生を過ごしていくのが必然だった。まさかその翌日に家族を含む全てのものが自分の前から消えてしまうなんて想像すら出来なかったに違いない。目を覆ってしまうような壮絶な光景も多く目にしてきたのだろうし、その絶望感は大き過ぎて第三者には決して理解できないだろう。

こうした人がこの先の人生を幸せに過ごしていくことなんて出来るのだろうか?失ったものが大き過ぎて、それは無理ではなかろうか。ボランティアも行政も、街や産業の復興は可能なのかもしれないが、被災者の人生を元通りにすることだけは出来ない。一番やってあげたいことだが、それが一番難しい。

********************

この日はマリンハウスの早野さん達が私を夜食に誘ってくれた。一人旅での一人飯は寂しいものだがこの日は違った。ありがとうございました。

(つづく)

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次の一歩へ。3 [東日本大震災]

昨夜の夜半、岩手より帰還しました。

現地では様々な人達に出会い、色々な事を思い、ある部分には達成感を、そしてまたある部分には自身の未熟さを痛感する旅となりました。

今回の旅に関しては目的は2つありました。1つは、かねてから進めていた、現地への釣具の支援品を届けること。そしてもう1つは、自分自身で現地の状況を確認し、今後の支援活動の指針やヒントを得てくる事です。これに関しては、現地でのボランティア活動に身を投じることで本当の需要を見出して来たいと考えてきました。

しかし、私のスケジュールの都合で現地に滞在できるのは週前半に限られていました。事前調査の段階でわかったのですが、これは岩手県でのボランティア活動には全く不向きなスケジュールだったのです。
というのも、当初考えていた釜石市、大槌町ではボランティア活動は金土日しか行われておらず、大船渡市も同様。陸前高田市では月火はボランティアセンターが休みとなっていました。さらに山田町では個人ボランティアは受け入れてもらえず、だったのです。


復旧状況にかなり開きがあることも知っていたので本当は各所で活動した方がベターだとは思ったのですが、結果的には最終日まで宮古市内で活動することとなりました。

7/28(土)

準備日。朝から晩まで準備に追われる。この日の下調べ段階で、自分のスケジュールでは実質宮古市以外の活動が出来そうもない事がわかり、予定の見直しを余儀なくされた。

7/29(日)

移動日。当初は夕方頃に宮古着の予定でいたが、出発時間を早めたのと、予想以上に道路状況がスムースだったので昼に到着することが出来た。そこで急遽、計画を前倒しにすることにする。当初、翌日の午前中に伺う予定だったマリンハウスさんに了解を取り、1日早く伺うことにした。

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(またこの地にやってきた)
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(海水浴客で賑わう浄土ヶ浜)
到着するや否や、観光客でゴッタ返す浄土ヶ浜の光景に驚く。遊覧船乗り場に隣接する広い駐車場は満車で、それでも次々に車がやってきて、誘導員が走り回っている。浄土ヶ浜自体も海水浴場として海開きされ、多くの海水浴客で賑わっていた。

マリンハウスさんへ向かうと、ここも大勢の観光客で賑わいを見せていた。特にJR東日本のCMで有名になったサッパ船での岩場、洞窟巡りは3艘のボートをフル稼働させていたが順番待ちの行列が出来ているほどの盛況振り。実は、少し前まではあまり観光客も来ず、TVCMの効果も感じられないとの事だったのだが、子供達が夏休みに入り、浄土ヶ浜が海開きしたことで一気に観光客が押し寄せたようだ。

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(この写真はマリンハウスさんHPより)
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また、マリンハウスさん自体も見違えるほど立派な施設になった。昨年12月に訪れた時はまだ津波の痕跡が大きく一言で言えば「ボロボロ」だったのだが、現在は建物自体も綺麗になり、中の食堂も清潔感のあるものとなった。トイレ棟はログハウス調の洒落た雰囲気のものが出来上がっていた。これなら女性観光客も違和感なく利用できるだろう。

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その一方で、寂しげな光景を目にした。陸揚げされたローボート。11艇あるうち、桟橋に繋がれているものは僅か1艇のみ。それすらほとんど観光客が利用する気配はない。
「スワンボートは人気があるけど、最近の観光客は手漕ぎボートには乗らないですね」
ましてや現在、ほとんど釣り客が来ない現状があり、ローボートの利用はあまりないのだそう。確かにこれでは、FRPボートを提供すると申し出ても前向きになれないのは致し方ない。


夏休みが終わり、CM効果が薄れてしまえば観光客もこの先どうなるかはわからない。早く釣り客を戻したいというのもうなずける。ただ、たまに釣りがしたいと言ってくる人もいるようなのだが、貸し出しできる道具が無かった為に断ってしまっている現状があった。

今回私が提供した道具類は、スピニングロッド10本にスピニングリールをほぼ同数。ロッドに関しては旧モデルのバスロッドに加え、根魚専用モデルであるベイライナーボロンのロッドを4本含めてある。大型のアイナメを本格的に狙う、なんてことにも対応できるものを用意した。ワームなどのルアー関係も相当量を提供したが、観光客がいきなりルアーでの釣りをこなせるとは思えないため、カレイ・アイナメが狙えるエサ釣りの仕掛け類も大量に持ち込んだ(生エサだけは何とかしてもらわないといけませんが)。

これらは、物品の所有権という観点で見れば私が浄土ヶ浜マリンハウスさんに提供した、ということになります。ただ、私の本意としては、こうです。

私が提供した道具類、そしてマリンハウスさんだからこそ出来る貸しボートという釣り場環境の提供。これで「道具」と「環境」が整った。釣りをしたい気分になったら、気軽に、手ぶらで行っても釣りが出来る環境が、これで揃った。これは岩手県の海岸線においては、髄一のものであると思います。

依然として復旧工事が多い海岸線での釣りを自粛している人、まだ気分的にレジャーを楽しむ気になれない人、道具類を流失してしまったので釣りが再開できずにいる人。すぐに戻って来てなんて言えないが、もし彼らがまた釣りをやろうかな、と思った時に、気兼ねなく戻って来れる場所は提供することが出来たと自負しています。

マリンハウスの早野さんは力強い口調で、私にこう約束してくれました。
「この道具類は、こちらの人達が魚釣りで笑顔になってくれるように必ず役立てます!」


自分が進めてきたことが間違っていなかったと実感できた瞬間。微力であるには違いないけれど、これでやっと1つだけ自分なりの復興支援活動を完遂させることが出来た。

さぁ、次に進もう。

(つづく)

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次の一歩へ。2 [東日本大震災]

いよいよ、単身で岩手に向かう日が近づいてきました。7/29の早朝に出発します。とりあえず宮古で2泊。それ以降の予定は現地で決める。帰りはいつになるか未定。自分の車で向かうので、行きと帰りはそれぞれ1日づつ移動日としての時間を割いています。かつては年に何度も夜通しで琵琶湖まで運転したものですが、最近めっきり遠征はしなくなったのでロングドライブがきついかもしれない。慣れない道でもあるので無理せず休みながら走ろうと思う。

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現在、私生活ではその準備に追われているところです。先日は最寄の社協に出向き、ボランティア登録を行ってきました。現地でのボランティア需要があれば、滞在日数を延ばして参加してみるつもり。

今回はまず、宮古市の観光業者さんに釣具を届けるという目的があります。ここは貸しボートなどをやっていて、釣具のレンタルも行っていました。釣れる魚はカレイ、アイナメなどだそう。が、釣具が全て津波によって流失してしまった。だから私が、レンタル用の釣具を復活させる。

震災後はあまり観光客が来ていないのが現状らしいのですが、中には貸しボートとともに釣具のレンタルを希望してきた人もいたそうです。残念ながらお断りするしかなかったようなのですが、もしその人が釣りをして、獲物に恵まれて、またこの地に来よう!と思ってくれたなら。そしてそんな人がだんだんと増えていってくれたなら。

今は、ある日を境に観光客がドッと押し寄せるなんてことは期待できる現状にない。地道に、地道に、この地の素晴らしさを知ってもらう以外にない。そしてこの海で釣りをしてもらえたらこの地の素晴らしさを知ってもらえる近道になる。何せ海は綺麗だし、カレイやアイナメの大物もいる。もしそんな獲物に出会える幸運に恵まれたなら、その人の脳裏には一生この宮古市浄土ヶ浜の海が記憶に焼き付けられることと思う。

もちろん根っからの釣り人にも利用してもらいたい。被災地ではまだ海岸沿いで釣りが出来るような状況ではないところも多いし、心情的に釣りを自粛している人もいる。道具類を失ってしまった人もいる。そんな人がふと、釣りをやってみようかな?という気分になった時にふらりと立ち寄って気軽に釣りが出来る環境というのを提供したい。

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とりあえず、現時点でこれだけの物品をかき集めた。リールは11台。ロッドは現在4本だが、最終的には10本準備する。船カレイのエサ釣り仕掛けはお店で買い揃えてきた。オモリ、ハリ、テンビンの予備も大量に。タックルボックスの代わりになりそうなケースは¥100均で。ルアーの道具としては、使えそうなワームを私のストックから。ハサミはスミスのPEシザースを12本。

ちなみにロッドとリールに関しては、私の勤務先である株式会社スミスより安価に提供していただくことができた。本当に感謝の気持ちでいっぱい。浮いた予算を他のことに回して被災地に還元しようと思います。

レンタル釣具を置くことで宮古を訪れる人が劇的に増えるわけではない。復興だとか経済効果だなんて大それた言葉にはほど遠いのもわかっている。それでも、自分はこの道具達に願いを込める。自分の分身として、宮古を訪れる人達の笑顔をもたらしてきて欲しい、と。

※ 数名の方から、各種協力の申し出をいただきました。とても嬉しかったです。ありがとうございました。今回は自分一人で頑張ります。またの機会がありましたらその時はよろしくお願いいたします。m(_ _)m

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次の一歩へ。 [東日本大震災]

「需要がない」 断念せざるを得なくなった私の被災地支援活動。津波により流失したFRPボートを提供しようというプランでしたが、被災地には未だ観光客や釣り客が戻って来ない。僅かに残ったボートだけで十分に事足りてしまうという悲しい現実。自分自身に、この現状を打破できるだけの手段はない。当たり前の事だけれども、自己満足のために被災地支援をやっている訳ではないので、必要とされていないものを押し付けがましく提供するという考えはさらさらない。

必要とされているものがあるのなら、力になりたいのに。

「何か、他にお手伝いできることがあれば申し付けて下さいね」
会話の締めの言葉的なニュアンスも多少はあった私の発言に、思いもよらぬ回答が即答で返って来た。


「出来たら、釣り道具を提供してもらえないでしょうか」
「エッ?!」


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(こんなアイナメがいる!)

宮古市の観光業者さんでは貸しボートの営業に加え、釣具のレンタルも行っていました。貸しボートで沖へと漕ぎ出し、糸を垂れればアイナメ、ソイ、カレイといった獲物が釣れる。それらを本格的に狙う人ももちろん居るけれども、ボートに乗ったついでに、プラスアルファの楽しみとして釣竿を手にする観光客の人達もいた。そんな人達のために、釣具のレンタル品も常備してあった。

しかし無情にも、その道具類も全て津波に呑まれてしまった。だから今シーズン、釣りをやってみたいと訪れた観光客の方にはそれを断ることしか出来なかったというのです。

「もっと早く言ってくれれば良かったのに!!」

というわけで、急遽釣具の支援を行うことにしました。お盆休み、もしかしたら観光客が来てくれるかもしれない。だからそれまでには万全の体制を整えられるように、こちらも急ピッチで準備を進めようとしているところです。

目標、スピニングタックル10セット。本当はもっと多い方がいいのだけれど、とりあえずボートの艇数分を。ロッドは自社製品を安価で購入できればありがたいが・・・。でもリールは買うしかない。でもそれは別に躊躇することではない。問題は・・・
カレイ釣りの仕掛けって、どんなのだ?!
オモリの号数がわからない。天秤の大きさがわからない。何を揃えたら良いのかわからない、ヤバい、勉強しよう。

何はともあれ、ようやく被災地で喜んでもらえるものを1つ見付けた。全体からすればとても小さな需要に過ぎないかもしれないけれど、ひとまずはこれを完遂させる。とても小さな一歩だけれども、なかなか前進することが出来なかった自分にとっては、次に繋がる価値ある一歩なのです。

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保険屋のオバチャンになりたい・5 [東日本大震災]

震災により、被災地で失われたものがあった。その一方で、震災を機に不要となったものもあった。全く同じものが、です。

自分が水郷エリアを拠点とするバスアングラーでなかったら、きっとそれに気付くことはなかった。だから、これらを上手に引き合わせることはバスアングラーだからこそが成し得る被災地への復興支援だと考えたのです。

私が進めていた復興支援プランというのは、震災を機に不要となり、水郷エリアで格安で売りに出されているFRPボートを買い集め、それを被災地に贈る というものでした。

これを実現させるため、昨年は震災直後から東奔西走した。売りに出されているFRPボートは25艇ほどあるのを確認してきました。

一方、岩手県宮古市のとある観光業者さんが津波で多くのボートを流失していました。30艇以上もあったボートも僅か10艇ほどになってしまったのです。これでは観光客や釣り客が戻ってきたところで、それを十分に受け入れることが出来ない。そこで、昨年末に私がFRPボートの提供プランを申し出たところ、大変喜んでいただきました。自分自身も、被災地の復興に役立てることに心から喜びを感じました。しかし、現実はそう甘くはなかった。

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私が昨年末に現地に出向いた際にも感じたのですが、岩手県宮古市・浄土ヶ浜はものの見事に復旧を遂げています。海岸には瓦礫一つ落ちておらず、綺麗な海と美しい景観がそこにはあった。アイナメやソイといった魚もよく釣れる。何て素晴らしい地なんだろうと、素直にそう思えたのです。

さらに今年、浄土ヶ浜でロケを行ったJR東日本のTVCMも流れるようになり、多くの観光客も戻ってくるものと期待しましたが・・・

本日、観光業者さんとの話し合いの末、FRPボートの提供は見送ることになりました。その理由は、現在使用できる10艇ほどのボートで十分事足りる現状にあるからです。まだ観光客・釣り客が戻ってきていないという被災地の現状がそこにはありました。

自身の復興支援プランを何とか成功させるべく度重なる障壁にもめげずに機を伺ってきましたが、FRPボートを提供するという支援に関しては残念ですが断念することとしました。

私の復興支援プランを知った何人かの方々から応援の言葉や協力の申し出をいただいていましたが、このような結果になってしまった点を深くお詫び致します。本当に、申し訳ありません。

結果が伴わないことは復興支援とは言えない。またしても己の無力さを痛感する・・・

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あれから1年。3 [東日本大震災]

震災後、ニュース番組の映像からは津波が押し寄せ街が壊滅した東北地方の映像が映し出されました。そして大勢の方が亡くなった。生き残った方々も自宅を失い、避難所での生活を余儀なくされた。だから日本中の、世界中の視線は東北地方に注がれていました。私ももちろん注視していたのは間違いないのですが、自分にはもう1つ気になっていた地域がありました。言うまでもなく、私がバス釣りのホームフィールドとしている水郷です。

震災直後から、北浦の鹿行大橋が崩落したらしいだとか、大山のスロープが損壊しただとか、津波が到達し鹿島のコンテナが掘割川にまで流されてきたとか、信じられないような情報が私のもとに次々と飛び込んできました。一体どうなってしまっているんだ?!
名古屋におり、強い地震自体も体験しなかった自分にはそれらがどうしても現実のものと実感できなかったのです。しかも道路状況や燃料不安もあり、なかなか現地に行って確かめられないもどかしさを感じていました。


やがてそれらが現実の出来事である事を知り、さらに各所の被害状況が酷いということを知ることに至ったわけですが、それらはあくまで釣り人同志の情報交換レベルで語られるに過ぎず、東北の報道の影にすっかり隠れてしまっている状況でした。
確かに大勢の死者が出ているような状況ではない。けれども水郷エリアの状況も酷かった。自分としては、どうしても無視する事が出来ない。日本中の人に注目して欲しいという気持ちはなかったにせよ、せめてこの地に足を運ぶバスアングラーだけでも関心を持ってもらうことは出来ないだろうか?


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そう思って立ち上げたのが「釣り人による水郷復興支援」の呼び掛けでした。ありがたいことに、SHINGOプロ、坂本さん、冨樫さんらが情報を拡散してくれた。その後、団体、大会関係者、個人、私が知っているだけでも実に多くの方々からの善意が水郷各所の行政に届けられました。(一応、私からも。)

現在、復旧工事真っ最中といった場所も多いのですが、崩れたり割れたりしてしまった護岸の改修や整備などが着々と進んでいます。それらが完成した折には今まで以上に安全な足場での釣りが出来るようになるはずです。そしてその中の一部は、バスアングラーの善意で出来ています。義援金を出していただいた方はどうぞそのことを誇りに思って釣りをして下さい。
そして行政の方々にも、バスアングラーからの誠意が多少なりとも伝わったのではないかと思います。この地で将来的にもバス釣りを続けていく上で必ず意味を持つものになると信じています。。


自分で言うのも何ですが「釣り人による水郷復興支援」は大勢の皆さんのご理解・ご協力により結果オーライだったのではないかと思います。ご協力いただきました皆様に深く感謝いたします。本当にどうもありがとうございました。

震災から1年が経過した現在、土浦市では義援金の募集は終了、香取市では3月31日を以って義援金の受付は終了となります。今後は徐々に受付終了とする市も多くなってくると思いますが、稲敷市、潮来市、鹿島市、神栖市では引き続き義援金の受付をしています。これらの地で開催される大会、トーナメントにおいては今後も引き続き、地元の行政に義援金というかたちでの復興支援をしていただけたらと思います。そしてもちろん個人の方におかれましても、余裕のある方は引き続きご協力を宜しくお願い致します。

一年経ちましたが、まだここで終了する段階にないと思っています。各所の行政が義援金の受付を終了するまでは呼び掛けを続けていきたいと思っています。もう少しだけ水郷への復興支援活動を続けさせて下さい。

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あれから1年。2 [東日本大震災]

私の性格は間違いなく直球型と言えます。人からもよくそう言われる。言いたいことをズバズバ言うし、行動する際にも思考回路よりも先に動いてしまっていることの方が多い。そのおかげで、トラブルなどに見舞われることもある。そうしたデメリットは認識しているつもりなのだけれどこの性格ばかりは治しようがない。馬鹿なんですね。

私の直球型の性格に、周りはまず着いてはこれない。だからおのずと私は単独で動く。団体で動くとなると、物事を決めるのにもいちいち時間が掛かるからスピード感がなくなる。自分はそれを嫌う。政治の諸々であるとか義援金の配分が遅れたりだとかそうした悪例はこの1年でも散々見てきた。なぜもっと早くやれないのか!イライラすることが多かった。スピード感を求めるなら、間違いなく個人で動いてしまった方がいい。やれる事は限られてしまうけど。

この1年も、私は単独で動くことの方が多かった。だからこそスピーディに行動できた点はもちろんある。けれども個人の力のなさ、そして個人では得ることのできない信用、個人では受け入れてもらえない社会の現実をも思い知った。そもそも、ボランティア活動や支援物資の提供にしても個人レベルでは受け入れてもらえないケースは多かった。善意なのだから受け入れてもらえるだろうというのは全く以って甘いという現実がそこにはあった。個人では、善意や正義すらをも押し通せない現実が今の日本社会にはあるということを痛感したのです。何たるもどかしさ。

時に、団体に属することの重要性を思い知った気がしました。もし団体に属して動いていたら、もっと何か出来たかもしれない。そもそも団体行動が苦手な自分であるだけにそこはきっと居心地が悪く感じることもあるのだろうけど、結果が残せるのならばそれも視野に入れなくてはいけないのかもしれません。

私の周囲には、さほど悪人はいないだろうと思います。でも、口先だけの善人がほとんどだった気もします。残念な事ですが、そのような人は他人を救う事が出来ません。人を救えるのは行動以外にありえないのです。これまでの1年、自分は行動することを念頭に置いてきました。けれども、無知であったが故に無駄も多く、空回りも多かった。この先、少しは賢く活動をしていかねければいけないでしょう。

この1年を通じ、誰が本物の善人なのかはおおよそわかった気がします。私の周囲には数えるほどしかいませんが、そんな人達とだったら協力体制を築いて連携プレーというのもアリかな、とも思っています。何にせよ、本日3月11日、2:46より黙祷を捧げると共に、気持ちを新たに今後の支援活動を考えた1日でした。

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