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被災地を想う [東日本大震災]

昨年の夏に岩手県にボランティア活動に出向いた際、私は過去に宿泊したことのあるホテルに宿泊していたのですが、他のボランティアの人達はその多くがとある無料宿泊施設を利用していました。それは同じ岩手県の盛岡市がボランティアの受け入れ施設として、廃校となった高校の宿舎を利用して無料開放していた施設でした。岩手県沿岸部に出向くボランティアの多くは、この施設をベースに活動をしていた人が多かったようです。

私も次回出向く機会があれば利用したいと考えていました。同じ志を持つ人が集まっているのでしょうからきっと有意義な情報交換等も行うことが出来たでしょう。

しかし先日、この施設が3月中に閉所するという話が入ってきました。非常に残念に思うところがありますが、実際にこの施設をベースにして活動をしてきた人にしてみればより一層強い思いがあるのではと察します。

震災より間もなく2年が経とうとしています。当初は瓦礫の撤去や家屋の泥出し、引越し作業の手伝い、側溝の清掃といった内容が多かったですが、避難所が閉鎖され多くの住民が仮設住宅へと移り、その生活もとりあえずは落ち着くとともにボランティアの活動内容も変わっていきました。現在では被災者の心のケアであったり、楽しませたり、教室を開いて意義ある時間を過ごしてもらったり、というプログラム制にシフトしています。現在ではそうしたプログラム内容を組める人でないとボランティア自体の受け入れをしてもらえない地域もある。

もっとも、ボランティアの需要がなくなってきているという事は、ある意味望ましいことでもあります。それだけ被災地が立ち直ってきているということの証でもあるわけですから。でも何だか、ちょっぴり寂しい気持ちにもなります。

そのような状況下ではあるものの、一方では依然として復興が遅れている地域もあると聞く。それは確かに間違いのないところです。そうした地域の多くは、何もなくなってしまったかのような光景が広がっています。震災後は瓦礫の山だったものがボランティアや行政などによって片付けられた結果、ただの土地だけが残っているのです。そこには元々何があったのかさえもわからないほどに。

とある仮設住宅の方が自分にこんなことを話してくれたのを思い出す。「先日、震災後初めて自分の家があった場所を見に行ったけれど、そこは見渡す限り何もない場所が広がっていて、果たして自分の家がどこにあったのかさえわからなかった」

ボランティアは、瓦礫などを片付けたり、不要となったものを取り壊したり、泥掻きや草刈などをして綺麗にすることは出来る。でも、そこまでです。そこに新たに何かを建設したりすることは出来ないのだから。だからそれ以上の復興に関しては、ボランティアではどうすることも出来ない。

何を以って被災地が復興したと定義することが出来るのか。元の街並みが戻れば良い?でも津波が到達した土地に再度建築物を建てるのはリスクがある。躊躇するのが当然です。となれば、元の街並みに戻るかどうかというのは経済上の理由だけに留まりません。

では、高台に住宅地や街が出来れば良いのか。しかし高台となると坂道が多くなり、高齢者には外出するのがきつくなる。海沿いのように風が吹かないため、夏には暑い(現地の人がそうおっしゃっていた)。安全性は高いといえ、決して住みやすい土地とは言いがたい。

5年後、そして10年後。その頃にはもう震災の事が語られる機会はほとんど無くなっているかもしれない。ただ、街並みは震災前とは全く異なっているだろうし、家や家族を失った人の生活環境が元に戻っているはずはない。仮設住宅に住んでいた人達は退去させられバラバラになっているだろうし、仮設住宅がなくなった段階でボランティア活動もほぼその任務を終了となっているでしょう。

でも、被災者の生活が一番厳しくなるのはそれからかもしれない。ただでさえ雇用のニーズが低い状況に加えて高齢者の方が収入源を得るのはかなり難しいと言える。しかし、仮設住宅を出ればおのずと経済的な負担は増える。何から何まで自分自身でやっていかなくてはならない。もうボランティアのような助けも来ない。経済的にも心理的にもかなり厳しくなるだろう。

避難所は、被災者に直接手を差し伸べられた。仮設住宅は、社協を通じ手を差し伸べられた。それぞれ生活環境として望ましいわけではなかったものの、外部の人が手を差し伸べられる範疇にあるという点は悪くない。今後、被災者に手を差し伸べられることが出来なくなった時が一番心配だと自分は思っている。

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