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半年。 [東日本大震災]

ほどなく、東日本大震災から半年を迎える。期せずして、アメリカでも悲劇のあった日。

自分は釣り業界の人間であり、多くの人が釣りに行き、釣り道具が売れるようにしていかなければならない。そうしなければ生活していけなくなる。

しかし、震災で多くの方が亡くなり、生き残った人達も家や仕事を失った。そのような状況の中、とてもではないが娯楽の最たるものである魚釣りに行きましょうだなんて言える気持ちではなかったし、自分自身もそんな気持ちにはなれなかった。

ジレンマに悩む日々。

釣りに行く以前にもっとやるべきことがあるはずだ。それが私の正直な意見でした。そう考えた自分は、自分なりに被災地に対して向き合っていくことにしたのです。

まず私が気に掛けたのは、ホームフィールドでもある水郷エリアでした。東北のような被害ではないにせよ、ここの被害も酷かった。

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私の活動は、水郷エリアの行政に対する義援金協力の呼び掛けから始まった。もちろん私自身も直接役所に出向いて義援金を提出してきた。水郷エリアで開催された幾つかのトーナメントが私の呼び掛けに応じてくれたことが何よりも嬉しかった。

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また、最も被害の酷かった潮来市日の出地区の復旧ボランティアに参加できたことは、私の心のわだかまりを大きく軽減してくれた。やはり地域の為に汗水流して労働するというのが一番いいことのような気がします。

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そして最も時間を割いて注力したのが水郷危険箇所マップの作成でした。震災直後から、水郷エリアの被害は酷いという話は出ていたのですが、その被害状況を一つにまとめた情報源というのが無かった。無いのならば自分が作るという思いもあったし、これが出来るのは自分しかいないだろうという自負もあった。

私の元には、釣り人が地割れに落ちて怪我をしたとか、護岸が崩れて落水したといった情報は入っていません。それが何よりだと思っているし、無事故であることの理由の1つに、もし私の製作したマップが多少なりとも役立っていたとしたらとても嬉しい。水郷危険箇所MAPを誌面で紹介してくれたルアーマガジンさんにも感謝の気持ちで一杯です。

しかし、中には実を結ばなかった支援活動もある。今思えばちょっと構想が壮大過ぎたのかもしれませんが、自宅が被災し避難所生活をしていた人達の住居を急ぎ準備するためのプランを考え、これを実行するべく行政サイドに提案していました。結果、前向きな返事がもらえずボツとなったのですが、もしこれを実現させていたら私は相当多忙な状況に追い込まれていたことでしょう。それでも自分は本気でやりたかった。

一方、最も甚大な被害を受けた東北地方に対しては、私は人並以下の支援しか出来ていないかもしれません。せいぜい義援金の提出、そして物資としてウェーダーを送ったくらい。現地でのボランティア活動は、夏には既に需要があまりなくなっており、見送りとなった。私の行動は遅かった。

もう半年?いいえ、まだ半年。復興にはまだまだ遠い。だから自分は、今後も自分なりに被災地支援に向き合っていく。

実は今、東北地方沿岸部に対する、とある支援プランが私の頭の中にあります。これは私のアイデアに基いた企画ではありません。現在奮闘している、ある団体の支援活動をバックアップすることになる。というのも、その団体の支援活動にはバスアングラーの力が大いに役立ちそうな気がしているのです。ただ、少しばかり私の意見と噛み合わない部分があり・・・。それ以前に、とても私一人の力では無理だったりする。さてどうするか、協力してくれそうな人に相談してみようと思います。

この半年間、私の支援活動を自己採点するならば、60点。でも今後はさらに高得点を狙って行きますよ。

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