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10年間の敬意を込めて [東日本大震災]

東日本大震災後、陸前高田市において復興支援活動などを行ってきた非営利NPO法人がこの3月末を以て活動を終えることとなったそうです。自分もこの団体を介して現地での捜索活動を行いました。

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陸前高田市は震災の遺構が多く、市街地が高台へと移ったこともあり海沿いは震災後と比べてさほど変わらない印象を受けます。かつて街があった場所は更地が広がり、依然として工事車両が行き交う。いきなりこの地に足を運んだらかなり衝撃を受けると思います。大きく復興が進んだ場所とは言い難い。

ですが10年という年月が経ち、被災地外の人達の関心が薄れ、さらにはコロナ禍が追い討ちをかけてボランティア活動も余儀なく自粛せざるを得なくなったようです。緊急事態宣言や越県移動の自粛要請などで県外から陸前高田に出向いて活動することがほとんど出来なくなってしまっていました。

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2019年の春までは行方不明者の捜索も続いていました。それが確実に結果に繋がってきたのかというと現実的には厳しいものがあったはずですが、まだ探してくれている人達がいるということ自体が家族の帰りを待つ被災者の人達にとってどれほどの希望であったことなのか、その重要性は自分も少しだけ知っているつもりです。

この団体は2011年の7月に設立されて、今日まで続いてきました。そもそもは本来ボランティアセンターを立ち上げるべき立場である地元の社会福祉協議会自体が津波で被災してしまったために外部の人達も加わってボランティアセンターを立ち上げたのち、その有志スタッフで業務を引き継いだ組織だそうです。主目的は勿論陸前高田の復興で、それがある程度達成された際にはおのずと解散が運命づけられていたのかもしれません。

この活動初期から、必ず捜索現場で見掛ける若い運営スタッフさんがいました。勿論、私が参加した際にも居ました。県外から参加のボランティアにも丁寧に作業の説明を行い、自らもスコップを手にして熱心に捜索活動をしていました。年齢的には当時20代半ば~後半といったところだったでしょうか。最後の捜索活動となった2019年の2月の現場写真にもこのスタッフの姿がありました。つまり、このスタッフは8年間に渡ってひたすら行方不明者の捜索にあたってきたということになります。

特定非営利活動法人の場合でも無給ということはないはずですが、陸前高田を離れて仕事に就くという選択肢もあったかと思いますし、収入面でもその方がきっとベターだったでしょう。そして10年ほどの年月があれば仕事の経験も積めるだろうし、会社内でもある程度の立場までは上がれると思います。自分自身の将来を考えた場合はその方が賢明な選択だったはずです。将来的には解散するであろう組織で10年を費やすよりは。

それでも10年間、陸前高田に留まり行方不明者の捜索を続ける人生を選ぶ。馬鹿だなぁと思います。けれども心の底から尊敬をします。自分にはとても出来ない。

自己犠牲を払う人というのは大抵その見返りを求めるような人ではないのだけれども、10年もの長期に渡って陸前高田市の復興に取り組んできた人達には、どうか明るい未来があって欲しいと願っています。彼らが被災者に与えてきた希望というのは本当に大きかったはずですし、その功績は大きく称えられて然るべきものだとも思っています。
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