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10年 [東日本大震災]

年を重ねると時間が過ぎるのが早く感じるようになると言います。そして自分もそれを実感するようになりました。もう10年が過ぎたのかと。10年という時の速さに驚いてしまう。
ということはこの先の10年もきっとアッという間に過ぎるでしょう。その時にはもう定年を迎えて仕事をリタイアしているのかもしれません。

昨年はコロナ禍で、そして2年前は経済的な理由で東北に行くことが出来ませんでした。震災以降、毎年足を運んでは少しずつ変わっていく街の様子や、知らない間にどんどん延伸されていく復興道路などを見てきました。コロナ禍の終息次第ですが、今年こそは足を運びたいと思っています。

自分は東北に親戚がいるわけでもなく、仲の良い知人が居たわけでもありません。元々は縁も所縁もない場所でした。

震災の被害を画面越しに見るにつけ、自分に何か出来ることはないのかと思いましたが、当時の自分にはその手段を見付けることが出来ませんでした。しかし2011年の12月、復興支援のイベントに協力を求められる機会がありました。元々は物品の協賛やブースの出展をお願いされたのですがあいにく会社としては大した協力が出来ませんでした。ですが個人的に運営を手伝わせて欲しいと願い出て、これを受け入れていただくことが出来ました。ここで初めて、岩手や宮城の人達との繋がりを持つことが出来ました。

震災から9ヶ月が経過していた岩手県宮古市。確かに海沿いの建物にはまだその痕跡が残っていたものの、街中はだいぶ綺麗になっており「ここが本当に津波に襲われた区域なのか?」と感じるほどでした。

しかし、現地の人達の口から発せられる経験談には言葉を失いました。この地域の人達には津波で身内を亡くされた人も普通に居るし、ほぼ全員が地獄のような光景を目にしている。遺体の安置所で数多くの遺体を確認し、身内の所在を探していたという人も何人もいました。都心で暮らしている人にはおおよそ想像もつかないような壮絶な経験をされてきているのだと知りました。水に対するトラウマを持っている人も少なくなかった。

そんな大変な経験をしてきた人達なのだけれども、他県からやってくる人間に対してはとにかく優しい。手厚くもてなそうという気持ちが強く伝わってきました。まずは自分の事よりも他の人の事を優先して考える。そんな人達が多いと感じました。こちらとしては現地の人達の力になりたいと思って足を運んだはずのに、こちらが逆に力をもらっている気さえしました。

だから自分は決めたのです。この地域の人達の力になろうと。

以後5年間に渡り、自分自身が企画した復興支援策を進めてきました。今では私の手を離れていますが、今でもちゃんと継続されているのが何より嬉しい。
私自身の災害ボランティアとしての活動もここからスタートしました。ある時は仮設住宅を周り、またある時は泊まり込みで行方不明者の捜索に加わったりもしました。だから自分は、被災者の人、遺族の人、仮設住宅で暮らしている人、行政サイドの人、病院の関係者、NPO法人の関係者、同志であるボランティアの人達など、現地に関わる大勢の人達と言葉を交わしてきました。ニュースなどでは報道されることのない現地の実情などにも多く触れる中で、自分は何をするべきか常に考えさせられてきました。

一番強く感じていたことは、何の落ち度もなく平穏に暮らしていた人達が一瞬にしてその日常を奪われてしまったという理不尽さです。その一方で(贅沢な暮らしはしていませんが)特に不自由なく暮らしている自分自身とのギャップにも大いに悩みました。罪悪感のようなものもあった。もっと被災者の人達に寄り添うべきなんじゃないかとも思いましたが、自分には仕事を辞めて東北に移り住むだけの根性と決断力はありませんでした。

とはいえ、被災地の住民全てが被災者というわけではないのです。津波が押し寄せた場所、到達しなかった場所、中には同じ地区内で大きく明暗が分かれた場所もありました。
津波が押し寄せた場所においては、家屋、家財道具、自家用車などあらゆるものを失います。行政支援なんて微々たるものです。これまで築いてきた財産を一気に失うことになります。当然、将来的な不安も付きまとう。一方、津波が到達しなかった地域の住民においては、現地のインフラが回復するとともに、ほどなく元の日常生活を取り戻すことが出来ていました。
避難場所~仮設住宅~復興住宅と周辺環境を大きく翻弄されて疲弊していく被災者の方と、非被災者との間の経済格差がどんどん拡がっていくのを強く感じていました。

自分はとある被災者の人からこのように言われたことがあります。
「災害は、まさか来ないだろうなんて考えていてはいけない。必ず来るものだと思って生活していって欲しい」
家族や自宅を失った人の言葉には重みがありました。
もしかしたらその言葉で自分の人生が大きく変わったかもしれない。リスク回避が出来たかもしれない。財産を失わずに済んだかもしれない。いただいた言葉を無駄にしないよう生きていこうと思っています。

10年というのは大きな節目ではあるけれども、ほんの通過点に過ぎません。これからもずっと、東北との繋がりを大事にしていきたい。自分はこれからも定期的に東北に足を運ぶつもりです。

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亡くなられた方には改めて追悼の意を表します。陸前高田の追悼施設にも行かなくては。
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