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9年 [東日本大震災]

自分は陸前高田市で行方不明者捜索のボランティア活動に加わっていたことがあります。
今でも陸前高田では202人の行方不明者がいます。自分が捜索活動をしていた2013年の時点では216人だった。7年間で14人しか見付かっていない。1年で数名見付かるかどうかというレベルです。

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地元のとある団体がずっと続けてきた行方不明者の捜索活動は徐々にその規模を縮小していき、遂に昨年その活動を終えました。終わってしまったことは残念ですが、8年にも渡って捜索活動を続けてくれたことに心からの敬意を表したい。ずっと捜索活動をする人達がいたということ自体、大切な人の帰宅をずっと待ち続けている人達にとってどれほどの希望だったことか。希望があるのとないのでは、人の生き方は大きく変わってくるはずです。

土に埋もれた人の骨は小さくなります。色もくすんでおり、普通の人では木片との区別がつかない。ましてや9年も経過した現時点においては部位によっては小さくなりすぎてもう骨としては残っていないと思います。だから仮に土の中に遺骨があったとしても、それを骨だと判断すること自体が極めて難しい。

でも行方不明者数が減らない一番の理由はそこではありません。行方不明者の多くは海に流されている。陸地はもう散々探した。でも海の中までは捜索できない。

だから今の時点で行方不明者の遺骨が出てくるというのはもはや奇跡以外の何物でもありません。

昨年の秋に宮城県の海域で漁師さんの網に骨が入ったそうです。津波に流されて行方不明になっていた20代の女性の遺骨でした。
そのご両親は震災以降ずっと娘さんを探していました。当時、その姿がニュースで流れていたのを覚えています。気持ちは痛いほど伝わってきましたが、おそらく発見することは出来ないだろうと自分は思いました。実際に行方不明者の捜索をしていた経験があるからこそそう思えたのです。だから、昨年秋に遺骨が見つかり両親の元に戻ったというニュースを知ったときは驚きとともに、これこそ本当の奇跡だと思い涙が出ました。

大切の人の帰りを待ち続けている人は、当然のことながら行方不明者数の人数を上回ります。今でも大勢いる。その人達が苦しいのは、行方不明者が生きて帰ってこないからではなく、何も見付からないことが苦しいのです。どこに眠っているのかわからないから供養のしようがない。お墓に入れることも出来ないし、話しかけることも出来ない。もし遺骨の一部でも見付かってくれれば、その人達はそうした苦しみからは解放される。

遺留品でもいい、何もないより遥かにいい。ピースメーカーだけが見付かったケースがあったそうですが、それでも遺族の方は大変喜んだそうです。それとて充分心の拠り所となったのです。

東北の太平洋沿岸部に行くと、震災で身内を亡くしたという人はごく普通にいます。一見、街中が復興して人々が賑わいを見せていたとしてもその点は関東以西の人間と決定的に違う。被災地外の人は、その点は心得ておいた方が良いです。
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