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あしたの姿 [物申す!]

※以下の物語はフィクションです。

私の祖父は地元でも名うての漁師だったらしい。私の住む町もかつては漁師町だったのだ。
だが、今やこの町に漁師町の面影はない。海岸線はコンクリートで覆われ、巨大なコンビナートが立ち並ぶ。高度成長期を境に、この町は全国でも有数の工業地帯へと姿を変えた。
そして私はその一角にある、とある企業に勤めている。かたちは変われど、祖父も私もこの地域と共に生きているという点では一致している。

幼少の頃は祖父から漁に出た際の話をよく聞かされた。今では全く想像もつかないが、この界隈は魚介類がとりわけ豊富で絶好の漁場だったのだそうだ。
しかし私が物心をつく頃には、既に海岸線は工場地帯の敷地となっていた。当然、立ち入ることは出来ない。だから私は地元で海遊びをした経験がない。海水浴も、魚釣りもだ。

私が勤務する会社は化学薬品を取り扱っている大型プラントである。煙も出す、工場排水も出す、これは工場を稼働させる以上は致し方のないことだ。空気も水も汚している。実際のところは問題のないレベルのものだ。でも0じゃない。

このご時世、工場が求められる環境基準というものは相当に厳しい。そしてそれをクリアするための企業努力というのは計り知れない。しかし、それをクリアしないことには今の世の中には決して受け入れてもらえない。
何より、地域に受け入れてもらえなくなることだけは企業として絶対に避けなければならないことなのだ。地域住民から立ち退き要請などを出されてしまっては企業の存続さえも危ぶまれてしまう。

私が働くこの工場では、率先して地域住民の雇用を推進している。時には地元中学校からの工場見学を受け入れることもある。社員が地域のボランティア活動に参加することもある。地域住民とのコミュニケーションを欠かさぬことも、企業を存続させるための重要な責務なのである。
そして私は、その窓口となる部署で働いている。地域からのクレーム処理も私の仕事だ。地域とのコミュニケーションが上手く行かないとクレームもまた多くなる。

**********

ある日、とある団体から思いもかけない要望が会社に寄せられた。要望元は全日本釣り協会という魚釣りの団体らしい。
その要望内容というのは、年に1度、工場の敷地を開放して市民に魚釣りをさせてもらえないだろうか、というものだった。当日の管理は全て全日本釣り協会側で請け負うという。

その回答に関する決定権は私の上司にあったが、私はそれを拒否するよう上司に強く求めた。

というのも、この工場の敷地内に夜間忍び込み、魚釣りをしていたと思われる形跡が残されていることが過去に何度もあったからだ。酷い事に、時にはゴミが散乱していることさえあった。もしこの敷地内で魚が良く釣れるという話が広がればますます不法侵入者が増える恐れがある。ましてや、それで事故などが起きてしまっては工場の管理責任までもが問われかねない。

当初は返答内容を決めあぐねていた上司だったが、最終的には私の意見に同意し、断りの返答を入れるに至った。

**********

それから半年が過ぎたある日のこと、小学校から帰宅した息子が持ち帰ってきたチラシが目に付いた。担任の先生から配られたものだという。

地域のとある工場(B社)が、今度の日曜日に敷地を開放して釣り大会を開くというものだった。案の定、例の全日本釣り協会が関わるイベントだった。私の勤務先以外の企業にも同様のアプローチをしていたのだろう。
地域のために、敷地を開放して釣りを楽しんでもらうということ自体は悪い事ではないと私も思う。ただ、ゴミ問題やその後の不法侵入などが懸念される。B社工場がそのような問題に直面しなければいいのだが・・・。

私自身は魚釣りをしないのだが、息子が興味を示したこと、そして私自身もこのイベントの雰囲気を確認したい気持ちがあり、親子で参加を申し込むことにした。
スペースの問題だろうか、人数制限があり、当選者のみ参加が出来るということだった。倍率は高かったらしいが、私たち親子は無事に当選した。聞くところによると、子供の参加者が含まれている申し込みを優先させているとのことだった。

参加費は無料だったが、敷地内での駐車料金は取られた。このお金を使って運営スタッフの日当や参加者の保険をまかなっているらしい。釣り大会の景品は釣具メーカーが提供してくれたそうだ。

現場には受付番号の書かれたバケツが置かれていた。釣り座は公平に決められているようだ。左右の人達との間隔が充分に空いていたのは、釣りの経験がほとんどない私達にはとてもありがたかった。仕掛けを投げ入れようにも、真っ直ぐに投げられる技量を持ち合わせていないからだ。

親子共々釣り経験がなかったため、私たちの釣りは相当に酷いものだったに違いない。その様子を見かねた付近の釣り人が親切に色々と教えてくれた。そのおかげで、その日の我が家の食卓にも僅かながらの魚料理が並ぶ結果となった。
釣った獲物を自慢げに母親に報告する息子の姿を見て、コイツは将来釣り好きになるかもしれないな、と思った。

なお、釣り大会の終了後は関係者によって敷地内の清掃が行われ、むしろ以前よりも綺麗な状態になっていたとB社工場の人間が話してくれた。

そしてその数ヶ月後の日曜日、再びB社の敷地内が釣り人に解放された。聞けば、前回の釣り大会が市民にとても好評で、是非またやって欲しいという要望が多数寄せられたからだそうだ。そしてその日もまた、親子連れの釣り人で大変な賑わいを見せた。

さらにその数ヶ月後の日曜日、今度はC社の敷地内が釣り人に解放された。こちらはB社の敷地内よりも魚がよく釣れたようで、釣果の面でも盛り上がりを見せたようだ。

やがて地域内で釣り人に部分開放をする工場が増えた。週末になると大抵どこかの工場が敷地を開放してくれるようになった。そして地域の小中学校では釣りが大人気になっているそうで、工場が部分開放をしてくれる日を心待ちにしている子供たちが多いのだそうだ。都市部の子供たちはスマホやオンラインゲームに夢中なのだろうから、ある意味本来の子供らしいというか、健全な姿であろう。

多くの子供たちが開放日に釣りを楽しむようになった現状を受け、当日は地域の婦人会の方々が子供達の為に飲食物を用意してくれるようになった。開放日の前には、地元のボランティアが敷地内の草刈りをしてくれるようになった。これは工場側にも大いに喜ばれることとなったのは言うまでもない。
地元の釣具店では釣具を買い求める子供達の姿が見られるようになった。何を隠そう、私も息子に釣り道具をせがまれる羽目になったのだから間違いない。

やがて敷地開放日の釣りはますます盛り上がりを見せ、飲食物の屋台まで出るようになってきた。もはや地域のお祭り行事と肩を並べるようになっていったのである。

**********

あれから長い年月が過ぎた。依然として海岸線は企業の敷地として一般人が立ち入ることは出来ない。
だが、今では週末になるとあちこちの工場が釣り人に敷地内を開放してくれるようになった。企業と地域住民の距離は縮まり、地域内の工場は住民に親しまれる存在となった。そして海は再び市民の憩いの場として機能するようになった。

そして私が勤務していた工場も、今では週末に敷地を開放している。何を隠そう、敷地の開放を上司に進言したのはこの私である。

そして仕事をリタイヤした今、敷地解放時のみのパートタイマーとして仕事に就いている。地域内の多くのシルバー人材が同様にして仕事を得ることとなった。

以前は釣り人に対してあまり良くないイメージを抱いていた私が、今では釣り人を見守ることに楽しみを見出している。
昔の自分には想像できなかった、あしたの姿がここにはあった。

私が思い描いているビジョンをフィクションで記してみました。釣り業界にもこんな「あしたの姿」が来るといいな、と思っています。

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